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ARTIST

Gladstone "Gladdy" Anderson【グラッドストン“グラディ”アンダースン】

BIOGRAPHY

グラッドストン“グラディ”アンダースンを初めて紹介されたのはシュガー・マイノットからで、彼の宿泊先である新宿のSホテルを訪ねた84年だった。グラディからその時渡されたカセット一発でそのファルセット・ボイスに加え暖ったかい人柄に惚れて「ドント・ルック・バック」[CD / D20Y270]をリリースする羽目になり、その上グラスメンズの林さんに「カリビアン・サンセット」(原題 : It May Sound Silly)というインスト・アルバムを聞かせてもらいそのレコードもマイアミに住むハリー・ムーディを訪ねて契約するという暴挙(?)に出てしまった。完全にグラディ・サウンドにはまったという訳だ。86年5月にキングストンにある彼の実家を訪ねコンサートをやりたい旨の申し入れをする。日本では全く無名と言っていいミュージシャンだったが、好きだという個人的思い込みだけで、世界で初めてのグラディのコンサートをやりたいと思い立ち、当時プロデュースを始めていたMute Beatとのスペシャル・セッションとして87年2月にスパイラル・ホール(青山)で実現させた。当日の会場はジャマイカの老ピアニストと日本の若いミュージシャン達の共演を一目見ようというファンで膨れ上がり300人以上の人達が入場できなかった。88年5月にはRoots Radics Bandの一員として来日してもらいPIT(東京)でコンサートをした。「Roots Radicsは俺が作ったバンドだ」とはグラディの言葉だ。何度かラディックスとレコーディングをした事がgladdyあるが、ギターやベースがミスったりすると「ヘイ! スクール・ボーイ! しっかりしろ」と言ってコードを口ずさんで教えてる様子はまるで音楽の先生のようで、70年代の中頃はきっとこんな風にグレゴリィ・アイザックスとのレコーディングが進んでいったんだろう等と勝手に考えたものだった。「ゴッド・ファーザー・オブ・レゲエ・ミュージック」と言って「レゲエ・コネクション2」[OVERHEAT / 廃盤]の中でグラディのことを紹介したのはJBC放送のOB(オウエン・ブラウン)だ。スカ・ミュージックをクリエイトしたのはグラディだと言っている人達は多い。これはあながち的はずれではない。スカがブギウギから生まれたというのは今や定説であるが、このブギウギ・ピアノのリズムをより踊りやすく強調する事によってスカが生まれたとすれば、スカを作った人達の一番近い所にグラディがいたと考えるのが自然であろう。とにかくジャマイカン・ミュージックにとって必要不可欠だった男、そいつがグラディだった事は間違い無い。

いつものコートリー・ホテルのプール・サイドにある大きなマンゴの木の下で僕とグラディは暑いカリブの太陽をさけてナゴんでいた。グラディはフルーツ・ポンチというジュース、こっちはレッド・ストライプ・ビアーだ。話はグラディじいさんの歴史、つまりジャマイカン・ミュージックの歴史だ。デューク・リードやコクソンといったプロデューサー達の名前とリン・テイト、デズモンド・デッカー、ジャスティン・ハインズ、ストレンジャー・コール、トゥーツ&メイタルズ、パラゴンズ、プリンス・バスター、デリック・モーガンといったヨダレの出る名前が次々に飛び出してくる。フェデラル・スタジオで昼の3時頃から夜中までレコーディングや練習をした話、たった一つのマイクでレコーディングした話、スカの前はR&R、カリプソ、メント、R&Bをプレイしていた話等興味はつきなかった。その時のミュージシャン仲間は、ジャッキー・ジャクソン(ベース)、ヒュックス・ブラウン(ギター)、レノックス・ブラウン(ドラムス)、アール・サン(オルガン)、そしてグラディがピアノだったという。僕はレゲエをはじめとするジャマイカン・ミュージックが好きだ。だが特にロック・ステディと呼ばれたスカとレゲエに挟まれた時代の短命だったリズムが大好きだ。このリズムを使って90年代のロック・ステディをいつの日か作ろうという話が盛り上がった時には、プール・サイドに照明が灯き星が輝いていた。それから3年もたった89年の3月にようやくタフゴング・スタジオをリザーブすることになった。選りすぐったミュージシャン達はベースにクリス。まだ20才そこそこに見える若いベーシストだが、以前チナ・スミスとレコーディングしている所を見て気になっていた男だ。ドラムは言わずと知れたダンス・ホール・リズムの立役者スティーリー&クリーヴィの片棒クリーヴィその人だ。センス抜群。最近は二人のレーベルで縦横無尽の大活躍、ジャマイカのダンスホールのリズム・トラックの大半を創り出しているといっても過言ではない。90年代のロック・ステディならこのドラム&ベースだろう。ギターはギフテッド・ルーツ・バンドとクルーシャル・ヴァイブスのコンポーザーでもあるラッセルとパーカッションはベテランのディッシュ。ホーン・セクションはナンボ・ロビンソンとバリー・ベイリーそして天才ディーン・フレイザー。役者はそろっている。先ずドラム、ベース、ギター、ピアノでリズム・トラックを録っていく。次にグラディがピアノでメロディをいれると曲に表情が現れる。ウーム。グラディらしい曲だ。コンポーザーとしての才能は疑う余地がない。グラディの跳ねるような特徴のあるピアノ・プレイ、こいつがクセモノだ。ミュージシャンのクレジットの無いDUBアルバムでもこのピアノ・プレイが出てくるとすぐバレてしまう程個性がある。曲はこのアルバムを思いついた時に輝いていた星からとった「トゥインクリング・スター」だ。ディー・フレイザーがカウントをとり、パパパー……とホーンを鳴らす。曲が思いっきりセクシーになる。ディーンがンニヤッと笑って「どうだ」と片目をつぶる。うす暗いスタジオの中で全ての音が贅肉を削ぎ落とされた野生馬の如く一つになり完成されていく。自分の人生の中でもこの夜のレコーディングは絶対に忘れることがない素晴らしい体験だろう。

3月にレコーディングされた曲が(3)(4)(6)(7)の5曲で、6月になってからのものが残り5曲である。打楽器としてのピアノ・プレイと華麗なメロディをプレイする最新作、『カリビアン・ブリーズ』をぜひぜひご堪能下さい。

(石井“EC”志津男 / 6.30.1989) ※この文章は89年に書いたものです。



【BIOGRAPHY】
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1934年
ジョーンズ・タウン(St.Andrew)で生れる。後、キングストンのトレンチタウンで成長。彼の叔父であるオーブレイ・アダムスの手ほどきでピアノを習得し、Jazz、R&B、メント、カリプソ、R&R等をプレイ。

1950年代末
デューク・リード(トレジャー・アイル)と共にフェデラル・スタジオでレコーディングを開始し、パラゴンズ等数々のヒット曲をプロデュース。この頃ピアノを弾いていてSKAのリズムを思いついたので他のミュージシャンにホーンを入れてもらってSKAが誕生。その後、コクソン・ドッドのスタジオ・ワン・レーベルでも数々のセッションをする。オリジナル・スカタライツとしてドン・ドラモンド、トミー・マクック、ジャッキー・ミットゥやローランド・アルフォンソ等とプレイ。

1960年代末
トリニダードからやって来たリン・テイトと共にコメッツを結成し初めてロック・ステディをプレイ。その後Jetsと改名。他にはバイロン・リー&ドラゴニアーズにも参加。ビバリーズやその他レーベルでもプレイ。

1972年
ハリー・ムーディ(ムーディスク)のもとで初インスト・アルバム「It May Sound Silly」(邦題 : カリビアン・サンセット)を発売し、その後2枚目のアルバム「Gladdy Unlimited」も発売。前作中のロンドン・フィルハーモニックをフィーチャーした「リーヴィング・ローマ」が英チャート6位になる。シンガーとして唄った“Just Like A River”がジャマイカ・チャート2位に。ストレンジャー・コールとの“Speak It Forever”もヒット。

1970年代末
スライ&ロビー等と共にリヴォリューショナリーズとしてチャンネル・ワン・スタジオを中心にプレイ。初期ルーツ・ラディックスとしてもプレイ(後年キーボードはスティーリー・ジョンソンにメンバー・チェンジ)。

1982年:シンガーとしての初アルバム「Songs For Today And Tomorrow」[英 : Night Line]を発売。

1984年
シュガー・マイノットと共に初来日公演。

1985年
2枚目のヴォーカル・アルバム「ドント・ルック・バック」[OVERHEAT / 廃盤]をアナログとCDで発表する。

Don't Look 「Don't Look Back」
[OVERHEAT / D20Y-0270]





1987年

Mute Beatとの共演のため来日。

1989年
本作「カリビアン・ブリーズ」を日本のみ発売。スカタライツのメンバーとして来日公演をする。NYのワッキーズで「ゲット・クローサー」をレコーディング。NECアベニューより発売。
Caribbian 「Caribbean Breeze」
[OVERHEAT / OVE-0068]





1992年

カールトン&ザ・シューズやブレン・ダウと共にOVERHEATが主催した「ロック・ステディ・ナイト」のために結成したグラディ&ソリッドゴールドとして来日。

1994年
10年以上に渡ってレコーディングしてきたインスト・アルバム「ピアノ・イン・ハーモニー」を発表する。

Piano「Piano In Harmony」
[OVERHEAT / OVE-0029]





1996年

スリラーUのために“ステイ・イン・パラダイス”という曲を提供しプロデュースも行なう。(文責:石井志津男)

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