MUSIC

Admiral Tibet スラックネスは歌わない。

 
   

Text and Photo by Shizuo Ishii 石井志津男、Translation:Ichiro Suganuma

2013年2月にRiddimOnlineに掲載された記事です。

「Serious Time」の大ヒット曲を持つMr. Realityとも呼ばれるAdmiral Tibetが3度目の来日を果した。旧知の間柄でもあるので、挨拶がてらインタヴューをしてみた。
Admiral Tibetの初来日といえば90年にThriller U(現在はTrilla U)と共に来日させたのが最初。その次が『Mighty Crown meets Digital-B』というアルバムのリリース記念ツアーで来日させてクラウンと一緒にツアーした。さらには数年前のこと、ニュー・キングストンのMas Campで「Giants of the 80's」と言う往年のスター総出演イベントがあり、その会場の暗闇で出演待ちをする悪友達とつるんでいるTibetと遭遇した。その夜はプローデューサーたちも揃い踏みでGermain、Winston Ryley、Black Scorpio, King Jammyなど顔見知りがニコニコ顔で見に来ていた。一緒に仕事したことのあるアーティストだけでもU-RoyからBeres Hammond、Sanchez、Flourgon、Buro Banton、Josey Wals、Lady G、Mighty Diamonds、LizerdやRed Dragonまでいた。全員は思い出せないが、Frankie Paulは出演が無いにも関わらず、ステージ前をウロウロウロウロ。いや~、あのラインアップなら絶対に出たかったに違いない。
 今回の来日で一緒に来たのがBrigadier Jerry。連れて来たのがChinamanことトレーバー・リン。彼ともすでに30年近い知り合い。87年かな? Men's BIGIのためにWayne Smithの「Slick Wi Slick」をChannel 1 スタジオでレコーディングしたが、そこで知り合いになり、その後ジャマイカに行くたびにホテルに現れ、常に忙しい俺は彼に話しかけられるのがちょっとだけ面倒だった。当時、オレが持って行ったマルチ・テープの残りを欲しいと言う事で、持ち帰るのも面倒だからプレゼントしたりしてその後も付かず離れずの間柄。何しろ、その頃はマルチ・テープは超貴重品だったからね。と、他愛も無い前置きはこの程度にして、肝心のAdmiral Tibetのインタヴュー。

●前回の来日はいつだっけ?

Admiral Tibet(以下、T): 1999年だったかな。Determineと一緒だった。Mighty Crownと回った『Mighty Crown meets Digital- B』(OVERHEAT廃盤)の発売記念だった。石井(OVERHEAT)がもちろん関わっていた。日本のどこを回ったのかまでは覚えていないけどね。

●今回が3回目の来日だけど、今回の「RASTA SOULJAH JAPAN TOUR 2013」はどう?

T: 100%だ。ムードもいいし、受け入られているのを感じるし、オーディエンスの反応も最高だ。我々の音楽は、時を経ても生き続ける。だから日本の皆からのレスポンスでカルチャー・ミュージックは生き続けてるってことが分かるんだ。

● Tibetはヒット曲もあり、とても歌がうまいシンガーだね。レゲエ・ファンならあなたの曲を一度は聞いたことがあるはずですが、生い立ちなどを知らないファンが多いので、まずは簡単な自己紹介をしてくれる?

T: 名前はAdmiral Tibet。だが、"Mr. Reality" などとも呼ばれている。1960年にジャマイカのセント・メアリーという小さな教区で生まれ、音楽をきちんと学んだことはないが、子供の頃に自分にはちょっとした才能があることに気づいたんだ。それはコミュニティーの友達や年配のみんなが気づかせてくれた。いつの頃からかコミュニティーのサウンド・システムで歌うようになり、、、一番最初に歌を歌った頃の事は覚えている。本当に小さな家庭用のオーディオセットで、それはサウンド・システムなんて、とてもいえないものさ。それがマイクを使って歌った最初だったけど、それで益々ハマっていたってわけだ。
そうやって俺は育ってきたんだが、1982年だった。もっと歌に専念したかった俺はキングストンに行くことにした。セント・メアリーには、スタジオなんてなかったからね。すべてのスタジオはキングストンにあった。King Jammy’s、King Tubby、Arrowsとかね。だが、問題は宿泊先さえ無い俺だったが、運良く友人が世話してくれたおかげで、なんとかキングストンに行くことができたんだ。
最初のレコーディングは、ウォーターハウスにあったKing Tubbyスタジオだった。そこはファイアーハウスと呼ばれてたあこがれの場所だ。キングストンに連れてきてくれたその友人の為に4曲レコーディングしたんだ。「Babylon War」と言う曲が世に出る前の話だ。それらの楽曲はリリースこそされなかったが、俺にとってはものすごく貴重なスタジオでの経験になったんだ。曲はマルチ・テープではなくてカセットテープにレコーディングした。
そして、1985年になったころだ、以前レコーディングしたカセットをキングストンのクロスロードに住んでいたSherman Clacherに持っていった。彼はKing JammyとかKing Tubbyといった大物プロデューサーではなかったが、テープを聴いて気に入ってくれて「明日ハーフウェイツリーのAquariusスタジオでレコーディングしてるから来い」って言ってくれた。もちろんそんなチャンスは絶対に逃しはしないよ。翌日は早くスタジオに行き準備万端のつもりだった。ハチミツを沢山飲んで精力をつけてね、ウフフッ。 だが、スタジオに着いて驚いた。すでに15人くらいのアーティストが待っていた。当時有名だったアーティストだとAnthony Johnsonもいた。次々とアーティストがヴォイシングをしていくのをじっと見ているだけだ。俺は常に謙虚で前に出ていく方じゃない。しかもその日に限ってShermanが不在で、別の男が責任者としてレコーディングをしていた。だからいつ俺の番になるのかだんだんと不安になってきて、彼に自分がヴォイシングする時間が無くなってしまうって言ったんだ。すると彼は「心配するなよ、残り物には福があるっていうだろ」とね。そして最後の順番が私に回ってきて、ようやくスタジオに入ったんだ。今でもよく覚えているよ。ヴォイシングしていくうちにスタジオのコントロール・ルームのガラス越しに皆の視線が集まるのを感じたよ。それが「Babylon War」を歌っているときだった。レコーディングをした次の日にShermanのクロスロードのオフィスに行ったら、Shermanは私にこう聞いてきたんだ。「昨日のレコーディングで、あるアーティストが歌った曲が良かったそうだ。任せてた責任者がすぐにリリースした方がいいと言うが、それは自分だと思うか?」って私に聞いたんだ。正直そうだとは思ったが、あまりにも短時間のレコーディングだったからね。
だがShermanはどちらかと言えば急ぐような男ではなく、リリースはすぐにはされなかったので、毎日彼と交渉して、ついにダブ・プレートを切ってもらうことにした。ラジオでエアプレイされるためにね。Shermanの友人がJBC(放送局)で働いていて、彼がプレイするようになると反応が出始めて、次第に沢山エアプレイされるようになった。そうやってAdmiral Tibetがスタートしたんだ。次第にエアプレイを聞いた他のプロデューサーらとも仕事するようになった。King Jammy とリンクして「Serious Time」、Techniques の Winston Riley とは「Leave People Business」や「Woman Is A Trouble To A Man」をレコーディングした。

●どうやってあの名曲「Serious Time」が生まれたんだい?。実をいえば俺は「Serious Time」のShabba RanksとNinjamanでリミックスした曲を当時日本発売しているんだ。それというのも数年間で『Best of Digital-B』という11枚にも及ぶアルバム・シリーズを発売した。ジャマイカのヒット曲をオンタイムでコンパイルしてリリースしてた。いつもBobbyのスタジオで夜中に二人で選曲してね。その記念すべき一枚目の、しかも一曲目が「Serious Time」のそのリミックスなんだよ!だから俺にとっては思い出の曲でもあり、永遠の名曲でもあるわけさ。

T: 「Serious Time」を書いたのはたしかに俺だが、かなり昔のことではっきりとは覚えていない。インスピレーションとでも言うしか無い、神の力が書かせてくれたんだ。あの時の環境だったり、周りで起こっていた何かや、ニュースだったり、実際目にしていたことが影響している。たしか1986~1987年だったはずだ。実はあの曲の裏話はKing Jammy’sの為にレコーディングしたものなんだ。だけど当時はBobby Digitalがまだレコーディング・エンジニアとして働いていてヴォイシングをしたのはBobbyだ。だから彼はあの曲を自分のプロデュース曲だと主張した。でも彼はレーベルをまだ持っていなかったから、あの曲はKing Jammy’sの音源だった。だがあの曲を気にいっていたBobbyは、それから何年かして、Shabba RanksとNinjamanでリミックスを制作したんだ。当時のShabbaとNinjamanという超二大スターを使ったとんでもないリミックスをね。

●あの当時たくさんの人たちが共感した「Serious Time」のリリック“とても深刻な時代に生きている、…..世界中でみんなが….”と書いた時代から随分と時が経ったものだね。当時と比べて現在のジャマイカや世界の状況をどう思うかな?

T: あの頃は確かに「Time is Serious (時代は深刻)」だった。だが、今はさらに深刻だと思うよ。俺のことをまるで予言者のようだと言う者もいるが、あの曲は現在の状況をより明示しているからね。87年に比べると今は時代がさらに悪く深刻になってジャマイカでもとても残忍なことが横行している。ニュースを読んだり聞いたりするにつけ、87年の頃に比べると世界は明らかに無慈悲で残酷な気がする。

●あなたの曲作りについて聞きます。「Babylon War」や 「Serious Time」等のヒットで、レコーディングの依頼が沢山来たと思いますが、どちらかと言えばあなたはマイペースですよね。

T: それは自分が曲を書き、その仕上がりが十分満足できなければいけないと思っているから、レコーディングは自分のペースになってしまう。例えばアルバムのレコーディングを依頼されたとしても、急いでレコーディングするわけにはいかないし、音楽とはそういう物じゃないし、きちんと作り上げないといけないんだ。クオリティーこそが大切だし、長い目で見るとね。

●リリックやメロディーはどうやって書いていますか?

T: 音楽は色々な形で降りてくると言えばいいのかな。何かを見たり聞いたりして、そのインスピレーションからわき出す。寝ている時だってそうだ。何かが自分に伝えているんだ。そして起きている間にそれを書き、また寝て起きてその続きを書く。それは様々だ。リリックが先にあったら、それに合ういいメロディーを考え、いいリリックが浮かばないことだって多々ある。逆もまた同じだ。例えば「Serious Time」は、Jammy’s スタジオのBobbyの所に行った時にリリックはすでにあったから、スタジオでリディムを聞いて、そのリディムに合わせてメロディーを考えたんだ。

● 今や日本にもたくさんのレゲエ・アーティストを目指している人たちがいます。では日本のそういう人たちに「レゲエの曲」を書くということや歌う時のアドバイスはありますか? 

すべてのアーティストに言えることだと思うが、おそらく俺と同じようにどのアーティストにも通る道があるんだろうね。「Serious Time」や「Leave People Business」はリリースされてからもう27~28年になる。俺は世界中色々なところに行く機会があるが、どこに行っても「Serious Time」や「Leave People Business」を歌い拍手をもらうことになるんだ。だから私が実感しているのは、3ヶ月や半年経ったら色褪せてしまう曲ではなく、どのアーティストも"いい曲"を書くべきだろうね。"いい曲”とは永遠に聴き継がれていく価値を持つもの。だからすべてのアーティストは、まずはポジティブでいること、そしてクリーンでいることだ。それが曲の永続性につながると思う。

●ではあなたがアーティストとして一番大切にしていることは何?

T: 自分はクリーンでピュアな精神でいなければいけないと思っている。天恵を忘れず、インスピレーションが湧くように出来るだけ純粋で清くいること。そして神とつながることだ。悪いことやネガティブなことをするのは極力避けるようにしている。授かったインスピレーションや才能を失いたくないからね。
 俺はスラックネスは歌わない。俺が音楽を選んだことはないが、音楽が俺を選んでくれた。

●最後に現在の活動を教えて下さい。

T: あの才能あるClive Huntと今レコーディングをしている最中だ。早ければ今年の中頃にはリリースできるかもしれない。それが私の今もっとも集中していることなんだ。新しいアルバムを出すことさ。

●では日本のファンにメッセージを。

T: これからも今までと変わらずサポートし続けてください。そして、若い人はネガティブなことから距離を置くことだ。影響されやすいからね。物質的なことにとらわれずに。Stay Strong.