CULTURE

「The 10th FUKUSHIMA, Nippon AWAKES(日本の目覚め)」

 
   

2021年3月にRiddimOnlineに掲載された記事です。

10回目の3.11がやってくる。
 今日は、そこで僕が国内外の仲間たちと必死に仕掛ける大切なことを、どうか知って、支援いただきたい。休んでいたRiddimと石井さんも、このために説得し”Awake(アウェイク)”していただいた。口火を切るための「最高の舞台はココだ」と思っていた。
 今回、個人的に初めて、クラウドファンディングを仕掛ける。プラットフォームはMOTION GALLERYで、開始日は3/10(水)。タイトルは『3.11、10年目の挑戦!「人間の表現」と「原発事故のファクト」のデータベースをつくりたい(https://motion-gallery.net/projects/the10thfukushima)』。コロナ禍は、助成金や寄付で運営される放射能測定室にも大打撃を与えている。その救済が目的だ。

 僕はずっと、土や食品の測定に携わってきた。今回一緒に立ち上がった仲間たちは、全国に約30ある市民測定室を束ねる「みんなのデータサイト」事務局や、福島市で2011年から測定を続ける「ふくしま30年プロジェクト」。つまりは、現状の民間における最強チームである。
 原発がその建設から事故後までずっと起こし続ける一番の特色は、僕たち市民間における「分断」。それだって、フェアな情報開示と透明性さえ担保されていれば、もしかしたらなくなるんじゃないか。市民同士でぶつかっている間は、怒りの矛先が本当の事故の当事者には向けられない。市民の分断や対立が誰に利しているのか、僕らは本気で認識する必要がある。

 判断は常に個々人次第として、大前提となるすべてのベースは、判断基準となる測定データの開示と透明性の維持ということ。
 僕たちはこの10年で体験してしまった。そこを大きな組織に任せると、まず「測らない」。測っても「隠す」。それが見つけられると「嘘をつく」ことを。だからこそ、このプリンみたいな島国日本に50基以上の原発と大量の使用済み燃料を抱える現実は、市民によるバイアスのかからない放射能測定室が必須なのだ。
 だって、どんなに博識な秀才でも、実態把握ナシに的確な判断は不可能。当時福島の特に食と農の現場では、例えて言えば、医者が診察ナシでがん患者に風邪薬を処方とか、風邪の人に外科手術といった、つまらない漫画みたいなことが現実に起きていた。これは民主主義とか共産主義、右とか左、当然国境や年代、人柄の良し悪しなんかも超えた話である。

 福島について関心が薄まる一方の中、メディアで見かける代表格は、汚染水の海洋放出問題。加えて現実には、甲状腺がんの検査は打ち切りの動きがはじまり、旧警戒区域への帰還にあたっての被ばく許容量は1ミリシーベルト/年から20倍に引き上げられ、同じく帰還政策が進められる飯舘村では除染中止の取り決めや、さらには食品の放射能基準値だって100ベクレルから緩和という動きがある。
 そして先日、震度6の地震が嫌が応にも僕らの記憶を揺さぶったと思ったら、福島県沖で2年ぶりに500ベクレルを超えるクロソイが確認された。しかも、原子炉内にある格納容器では水位の低下傾向が続いている。それってつまり「漏れてる」んでしょう?

  

僕が福島とここまで関わることになったのは、間違いなくヒップホップ文化の影響だ。ヒップホップが生まれた1970年代のNYにずっと憧れ、実際に96年から5年間住んだが飽き足らず、事故後の福島の姿にその想いが重なった。社会構造の大変なしわ寄せが集中した土地からは、未来を生き抜くタフな価値観が生まれるという確信があった。

 福島市に住んだ2年半、僕の拠りどころは測定だった。何が安全か、自分で測れば信じられる。でもすべて自分でやるのは不可能で、その時にこそ「顔の見える」関係こそが重要だった。それが食の現場、生活の根幹を支えていた。
 願わくば、測定という行為には、危ないことの発見より、安全なことの証明をしてもらいたい。僕らが夢見る理想は、測定室のいらない未来だ。
 そこに、NYの盟友で抽象画家のホセ・パルラから誘いがきた。それは、僕が昨年コロナ禍の騒動に3.11以降の社会との既視感を感じて書いた、「BIOCRACY宣言2.0(http://chimpom.jp/artistrunspace/garterpress/BIOCRACY2020.pdfq)」へのアンサーだった。
 その誘いは、ホセが仕掛ける、トランプ大統領やBLMで無茶苦茶になってしまった社会をアートで治癒しようと始動させた市民発の有機的ムーヴメント『Wide Awakes(広い目覚め)』への参加だった。もともとワイドアウェイクスは、リンカーン大統領を誕生させた当時の市民運動につけられた名称だ。
 日本でWide Awakesをやるならテーマは3.11で、名称は『Nippon AWAKES』ということに、すぐ決まった。
 さらには、先日もFENDIのイベントで来日、ライブペイントを披露し、その他数多のグローバルな活躍を続ける、同じくNYからLady Aikoも福島についての活動に賛同してくれた。こちらは彼女と僕の2人で、深川の街を舞台とした『The 10th』として開催される。そちらも3/10から、作品の完成に必要な再生可能エネルギーを導入している6店舗で同時に、作品展示が開始。その売り上げの寄付先も「ふくしま30年プロジェクト」だ。
 最後に改めてもう一度、繰り返させてください。
 子どもや孫のため、この地球を持続可能な惑星とするため、クラファン(https://motion-gallery.net/projects/the10thfukushima)のご支援、どうかどうか、よろしくお願いいたします。

平井有太 (写真は田んぼで測定中のモノ)プロフィール
みんな電力のオウンドメディア「ENECT(enect.jp)」編集長/認定NPO法人ふくしま30 年プロジェクト理事/アーティスト。
1975年東京生、School of Visual Arts卒。1996〜2001年NY在住、2012〜15年福島市在住。2013年度第33回日本協同組合学会実践賞受賞。福島では福島大学の客員研究員として農の復興事業をJA新ふくしま(当時)、福島県生協連と協同し、福島市内すべての農地の含有放射性物質を測定。根幹にあるエネルギー問題と社会のサステナビリティとの関わりを深化させる。
福島の市民の言葉には世界の社会課題を解決するカギがあるという理解のもと、自身の制作テーマ「socialscape」としてインタビューを継続中。
単著『福島』、『ビオクラシー』(共にSEEDS出版/2015、2016)、『虚人と巨人』(辰巳出版、2016)。共著 『農の再生と食の安全』(新日本出版社、2013)
個展「From Here to Fame」(HEIGHT原宿、2005)、「ビオクラシー」(高円寺 Garter、2016)
コロナ禍のビオクラシー宣言:http://chimpom.jp/artistrunspace/garterpress/BIOCRACY2020.pdf
グループ展「Frank151 Far Eastern Conference Exhibition」(Scion Installationロスアンジェルス、2006)、「原子の現場」(鞆の津ミュージアム、2017)、「If Only Radiation Had Color: The Era of Fukushima」(X & BEYOND コペンハーゲン、2017)、 「ビオクラシー」(はじまりの美術館、2018)、「清山飯坂温泉芸術祭 SIAF2018」(旅館清山、2018)、「The 10th」(w/Lady Aiko@深川、2021)
*平井は写真で手にしている、ベラルーシ製でオレンジ色の測定器、通称「ロケット」を『泉2.0 Fontaine2.0』と名づけ、作品にもした。それはまさに、せめてもの希望が湧き出す泉だったし、それこそその発表後未だ世界の価値観に影響を与え続けている、マルセル・デュシャン『泉(=便器)』(1917)に続く存在に見えていた。