MUSIC

COMA-CHI 『Golden Source』

 
   

Text by Riddim Online

2012年11月にRiddimOnlineに掲載された記事です。

メジャーレーベルを離れたCOMA-CHIの独立後初のニューアルバム「Golden Source」が発売となる。昨年リリースした「太陽を呼ぶ少年」で初のバンドサウンドを試みたが、そのきっかけとなった3.11のことやニュー・アルバムについて語ってもらった。

●シングル「Flower of the sun」について「原点回帰」と仰っています。それはアルバム「Golden Source」にも通じることですか?

COMA-CHI(以下、C) シングルに関してですね。あれはつくってみてから、よく考えたら「昔あんなの好きだったな」っていう、ヒップホップを好きになる前に好きだったものを取り入れているなと思って。そしてそれも、そう目指したというより、自然に結果としてそうなりました。

●PVでは、それこそTPP問題にも繋がる遺伝子組換えの種を扱うアメリカ、モンサント社を扱われています。「原点回帰」の中には、音にたくさんのジャンルが詰まっている他、「社会のことを音を通じて伝える」ことも含まれる?

C:うーん、そうなのかな。

●そう聞いたのは、ブログに「昔、RAGE AGAINST THE MACHINEにはまった」といったことが書いてあったので、、、

C:確かに、音楽に入ったきっかけがウッドストックとか、レイジだったり、そういうレベル・ミュージックから入っているので、そこに戻ってきた感じはあるかもしれません。でも一昨年頃、メジャーで出してる時はそこまで「社会に対してどう」ということに頭がいっていなかったというか、普通に「幸せだな」みたいな感じもありました。それが去年、地震とか原発とか社会的なことがあって、そこに目を向けざるをえない状況になって。今回のアルバムにももちろん「純粋に楽しく音楽をやる」っていう部分もありつつ、リアルな自分を出していく中で、去年の色々な出来事には影響を受けていて、それがたぶん自然に出たんだと思います。

●これは「純粋な楽しさ」の部分に当てはまると思いますが、アルバムには「MAMA USED TO SAY」のカバーもありました。

C:R&BやPOPSの曲がラテンでカバーされているバージョンがすごい好きで、「そういうのを自分でも歌いたいな」と、(DJ)NORIさんに選んでもらいました。それは、マンハッタン・レコードからアナログを切るって考えた時、「サンプリング・ソースをつかったリメイクの曲とかなら面白いね」って話をしていて。だから、まずDJの方にサンプリング・ソースを選んでもらって、その曲を生バンドで演奏し直して、みたいな。

●NORIさんとも交流があるんですね。

C:もちろんです。だからアルバムには本当に色々入ってるんです。ここまで、ただ「レベル」だけできただけでもなく、突き抜けた明るいやつも大好きだし、社会派のメッセージばっかりがメインになっちゃうと少し重たくなっちゃうし(笑)。でも、アルバムはどっちかに偏ったものではなく「私の好きなことをやる」ということで。

●もう少しルーツを遡らせていただくと、お父様がギタリストだった?

C:お父さんはボブ・マーリーのTシャツ着てるし(笑)、レコードもいっぱいあって、ジャズも好きだし、ツェッペリンとかジミヘン、スライなんかも超好きでした。

●お母様は?

C:母ちゃんは結構ファンキーですね。迷いなく「やりたいことやっちゃうぜ」みたいな。今はハワイアンやってて、ダンスとフラやって、今度ハワイ行ってCD出すとか、小錦さんとかと大きいフラのフェスに出るから、それで「観に来て」って言われて実際行ったら歌わされたりとか(笑)。

●そういった環境と記憶の中で、特に思い出のある曲は?

C:私の本名が、エリック・クラプトンの「いとしのレイラ」って曲があって、両親がそこから引用した名前なんですね。だから、自分の名付けの曲がそれなので、小さい時にはすごい聴かされた記憶がありますね。「いとしのレイラ」もそうだし、ジミヘンとか、ロックのギターのリフッてなんか覚えてますよね。

●あらゆる音楽ジャンルを経て、今に至っているのだと思います。その中で、特に「ヒップホップ」についての想いは?

C:確かに今は「ジャンル」をあんまり考えなくなってきてはいます。でも「ヒップホップ」はやっぱり自分が出てきたカルチャーだから、特別な想いがあります。とはいえ「音」としてはラテンもジャズも、ファンク、アフロビートも、もちろんレゲエも色んなのが好きなので。以前、バトルとかに出ていた頃は「やっぱりヒップホップだ!」ってそれしか聴いてなかったし、やっと今、フラットに「何でもいいな」って思えているかもしれません。

●ヒップホップの世界において、これまでDA.ME. RecordsからJazzy Sport Production、そしてメジャーにまで席を置き、「B-GIRLイズム」をラップし、豪華で広範囲にわたる客演陣と楽曲をつくってライブをこなされてきました。だからこそ見えるヒップホップの機能、役割はどんなものでしょう?

C:そこではすごくリアルな表現をみんながしていて、それが自然にできる場所なんだと思います。例えば政治のことを言いたかったとして、それをラップにするのはすごく自然にできるなって。だから何か発言したり、伝えていくっていうことに関してはいいカルチャーなのかもしれません。でも、コンシャスに考える、考えない人がいる中で、とにかく「自分のことを素直に言う」のがラップじゃないですか。それは私も、今までならたいして政治に興味なかったから普通に男の子のこととかを歌ってたかもしれないけど、今なら原発だったり色々なことを思うから、それがただ素直に出てくるのかなと。

●自分がそう思わなければ無理して言う必要もない。

C:ヒップホップや音楽には、「オレはただパーティーを楽しませたいだけ」っていう感覚でやってる人もいるし、それはそれぞれでいいのかなって。例えばもっと個人レベルで「選挙に行った方がいい」とかは思ったとしても、それとは別に「音楽家として色々なスタイルがあるのかな」って。

●それにしても、曲で原発を扱うことはあっても、モンサントを扱うのは珍しい気がしました。

C:あれも「モンサントの歌」というわけではなくて(笑)。ただ、ミュージック・ビデオをつくる時に監督と話して「植物」、「強い種」というところにインスピレーションを受けて、「種と言えば」みたいなことでああなったんです。今はモンサントの映画(*「モンサントの不思議な食べ物」)もありますが、前から本とかで読んで、遺伝子組換えの種についても知っていたし。

●モンサントの蒔く種が邪悪なものとして、「FLOWER OF THE SUN」の種は、もっと根源的な価値観をもっている種ということ?

C:あの曲の主題っていうのが、「お金とか利権とかを中心にまわっているものじゃなくて、自分の自我だったり愛とかから生まれてくるものを大事にしよう」と。それは音楽業界的なことにも引っ掛けていて、「そういう考えや視点でレーベルは動いているんだな」ということを、メジャーを経験して感じたことがあったんです。すごく「ホント、お金なんだな」と思って。それは、みんな食べていかなきゃいけないから大事なことなんだけど、それが第一になっちゃってるからこそ、原発にしても何にしても「心がない」ことが起きるというか。「心があったらそういう風にならないだろう」みたいなことがあまりにもすごく多いから、そうじゃない方向に逆回転したい。それを、自分のレーベル「QUEEN'S ROOM」をつくった時の主題として、「自分の内側からくるもの、仲間と創りだすものを中心にやる」と。それは去年出した「太陽を呼ぶ少年」っていう絵本付きCDからも繋がるんですけど、それを「種」と引っ掛けて、こっちのはリアルな力、根源的なものから出ている私たちの種。もう一つは、お金とか利益だったりから生まれている種という、そういう2つの構造なんです。

●それが、大企業の姿勢に対してQUEEN'S ROOMから打ち出そうとしている価値観であると。

C:そんな大きなことは言えないんですが、「愛」というのはあまりに究極な言い方として、それを「光」と言っちゃえば「光」だし、「魂」とか言うと「スピリチャル系だろ」ってなっちゃうし。もっと体とかで「こういう感じ」って動いてみせる方がわかる気もするんだけど(笑)。

●そして、その実践を続けている。

C:それこそ、それが「Golden Source」なのかもしれない(笑)。でも、本当にそれは「源」であって、「自分の中の輝く源を価値観にしていく」と。「Golden」は「金(きん)」だし「金(かね)」だけど、それはこっちの内側で輝いているものだよって。

●そういう言葉にし難い、強い想いを実践を通じて伝えてきて、「音楽の力」をどう感じていますか?

C:「難しさ」はやっぱり感じていて。自分に素直にやっていることは確かなんだけど、みんなが私と同じバックグラウンドとか経験、知識を持っているわけじゃないから、そういう人にどうやって共感して伝えられるようになるかっていうのは、まだまだ未熟な部分も感じます。私とある程度似た境遇、知識を持つ人は「あれ、超わかる!」みたいなことを言ってくれるけど、圧倒的大多数がやっぱり違うので。

●だからこそ、自分と背景の遠い人たちにもっと伝えたい気持ちも強い?

C:「Golden Source」は「自分の中の輝き」なんだけど、それに気付かず、信じることができずに表に出せない人っていうのはいっぱいいるんじゃないかなって思って。だから、誰もがそれぞれの想いに忠実に、まわりの目やお金のことを心配するような思考じゃなく、自分の熱みたいな部分に素直に生きられたらきっと楽しいんじゃないかなって私は思っていて。「みんながそういう風になれたらいいな」って。

●さらに「Source=源」についての質問です。そういう、音楽活動を続けるCOMA-CHI自身の源になっているものは、もう少し具体的には何でしょう?

C:それはもともと自分にあったことかもしれないけれど、今思うと、やっぱり去年実際に福島とかに行った体験や地元の子に話を聞いたりして、そういうものにグッと背中を押されたということはあったかもしれません。

●その福島で見聞きしたものというのは?

C:去年の5月頃、南相馬に行ったんです。それは、私のブログに「南相馬のファンです」っていう書き込みがあって、その娘は19歳の若い妊婦さんで、でも「震災がおきてしまって、音楽はもう聴けない」と。私は、それを読んで「これは行かなきゃ」ということで、こっちで仲間と復興イベントみたいなものもやって、集めた物資と義援金もどうなるかわからないから、南相馬市の桜井市長に直接渡しに行きました。それでそこに辿り着くまでに、飯舘村のあたりとかも通って、本当にガソリンスタンドなんかもガランとして「ここに、すぐ最近まで人がいたんだろうな」みたいなこととか、この間まで飼われていただろう犬が野犬みたくなってて、ドアのすぐ外まで来てすごい怖かったり、そうやって警戒区域のところまで辿り着いたけど、追い返されて。その時はまず体育館でライブをやって、その後バーみたいなところにも機材を持ち込んで、それはメッセージを書き込んでくれたその妊婦さんと、そのまわりの子たちとでやったんですけど。

●素晴らしい動きですね。

C:その時の妊婦さんの話もそうだし、そこにいたDJの子で、実際に原発の施設で働いていて、まさに地震が来た時その施設にいて、そこから逃げたみたいなリアルな話も聞いて、それがことごとく政府が言ってることと全然違った。昨日までは線量計で、「これを超えたら逃げて」って言われるような仕事をしていたのに、それがもはやだいぶ超えているのもOKとなり、賠償の問題や色んなことも聞いて「本当に、こんなことが起きてしまったんだ」と。それで東電の苦情受付センターみたいなところにも行ってみると、そこでは人が超怒鳴ったりもしていて「こんなことになってるのに、テレビではやってないし」とか思って。それでそこで、今まで本で読んできたことやメジャーに対して思った感覚とか、そういう色々なことが結びついちゃったということがあったと思うんです。

●3・11が大きな契機だった。

C:正直、あれがなくてただメジャーを辞めてたら、音楽を続けていたか分かりません。ぶっちゃけ言うと、当時結構つまらなくなっちゃっていたんです。色々出して「次の配信シングルは売りたいから、こういう人とフィーチャリングして欲しい」とか、「こういうテーマで書いて欲しい」みたいな、最初は頑張ってたけど「あれ、なんかつまんない」、「音楽ってこんなもんか。別にいいかな」と思って、地震来る前から「もう辞めたいです」って言っていたんです。だからそれで平穏に辞めて、地震が来ていなかったら、普通に主婦とかになってたかもしれない(笑)。

●そこまで聞いて余計、ジャンル云々も超えた「音楽」というものに託している想いを伺いたいと思います。

C:結果として音楽の良さを再認識したのは地震の時で、私自身も地震の日、電気が使えない中にみんなで集まって、太鼓やジャンベを叩いたりとかしてました。電気が使えないからDJの機材も使えず、「気を紛らわそう」とやってたのがすごい安心感に繋がったというか、心から「いいな、やっぱり」って。それで何もできなくなった時、やっぱり歌や音楽で何かしたいなって自然と思っちゃって、それでさっきの書込みもあって、仲間と行ってライブして、皆さんすごく感動してくださって。現地で娯楽がまったくなくなっちゃった中で、「超良かったです」みたいなことを言われて、「ああ、やっぱり音楽の力は必要なんだな」って強く思えました。それに、スピーカーも何も使えなくなった時、改めて「生楽器ってすげえ」と。それはその体育館でのライブも、おじいちゃんとかおばあちゃんばっかりの前でアコギ一本でできたし、なんとか楽しんでもらえたっぽかったから、それで、より「生音」という方向性にいったんです。だからそうやって考えると、本当に去年の出来事には影響を受けているんですね。