STREET

Lance Mountain “Keep on SK8ing”

 
   

Text by CB Ishii (石井洋介)  Photo by Shin Okishima (沖嶋 信)

2013年4月にRiddimOnlineに掲載された記事です。

街でスケートボードをしていると、あらゆる場所がスケート・スポットに見える。ここを使ってどういうトリックができるのか?それを写真に撮るならどうなるのか?などと常に考えてしまう。単にクルージングしているだけでさえ、スケートはとてもクリエイティブなものだと思う。スケーターにクリエイターが多いのはそんなことにも起因しているのか?Riddim Onlineで特集されたBones Brigadeの記事を読んだ方も多いと思うが、Bones Brigadeのメンバーだった彼らもスケートから得たクリエイティビティを様々な場で表現している。Tommy GuerreroはMoWaxからアルバムを出した経緯があるミュージシャンとして高く評価され、Steve Caballeroもずっと長い間バンドを組んでいるし、Hot Rod好きが高じてペインティングもしている。映画「Bones Brigade」 の監督であるステーシー・ペラルタだって天才スケーターだった。そして今回インタビューをしたLance MountainもBones Brigadeの一員であったが、レジェンド・スケーターとしてだけでなく、グラフィック・デザイナーであり、ペインターであり、スケートパーク・ビルダーという多彩な才能の持ち主なのだ。今回Stussy Shinjuku Chaptの15周年記念でLanceのアートショウが開催され、来日した彼を代々木上原のカフェでキャッチ。聞いたのはもちろん思いっきりコアなスケート話。

C:このWebマガジンを読んでる人に、まず簡単な自己紹介をお願いします。

Lance Mountain(以下L): 僕は今48歳。名前はLance Mountainでカリフォルニア州のパサデナで生まれ、殆どの人生をパサデナで過ごしてきたよ。あとは、、スケーターです(笑)。

C:知ってます!(笑)。スケートボードはどれくらいやってるんですか?

L:10歳の時からスケートしてるよ。

C:うわっ! 僕と同じです。僕も10歳からスケートを始めました。じゃあ38年間スケートしてるってことですか?!僕はまだ24年だから、まだまだです。 スケートを始めたきっかけはなに?

L:1973年にアメリカでスケートボードのブームがやってきたんだけど、その頃丁度ウィールにウレタンが使われはじめて、とても乗りやすい物になったんだよ。たしか74年っだったけど、近所に住んでいた5歳年上の友達が新しいスケートボードをゲットしたから、彼の古いボードを貰ったんだ。まだウレタンじゃないクレイ・ウィールがセットアップされたやつで、それは本当に酷い状態でまあ乗れるような代物ではなかったけどね(笑)。

C: でも今はそういうスケートボードも価値が出てきてますよね(笑)。それで絵を描き始めたのはいつからでしょうか?

L:僕の父親はとてもアーティスティックなイギリス人なんだけど、アメリカに移って結婚をして最初に就いた仕事がMacy`s(デパート)のウィンドウ・ディスプレイを変える仕事だったんだ。最終的にはトレードショウのブースを作ったりする施行の仕事をするようになるんだけど、そんな関係で僕の廻りにはいつも木材、ペイント、クラフト、アートなど何でも揃っていた。だから小さい時から自然と何かは作っていたんだよね。スケートボードを始める前からドローイングはしていたのかもね。スケートボードに魅かれたきっかけはもっとなんて言うか、美的センスに引き込まれたっていうのかな。当時欲しくてたまらなかったのがALVA(レジェンド・スケーター)のTシャツで、買えない時が多かったから自分たちで描いて作ってた。まぁ全然描けてないんだけどさ(笑)。DOG TOWNのデッキがリリースされた時もお小遣いがなかったから、古いデッキを引っ張りだして自分で真似してペイントしてた。だからスケートボード・アートが僕をアートに引き入れてくれたとも言えるんだ。

C:貴方が描いてる有名な黄色いキャラクターには名前があるんですよね?

L:「Doughboy」っていうんだけど、名前をつけたのは僕じゃなくてPowellのデッキに使われた時に付けられた名前なんだよ。その時は「Doughboy」をメインに描いてたわけではなくて、どこのデッキを見ても真ん中にロゴがあってグラフィックで全部埋まっているのがほとんどだったから、僕はノーズからトラックの下も潜ってテールまでのラインで伸びているデザインをフォーカスして作りたかった。スケッチの段階では走ってる男の絵を描いていたんだ。そのアイデアをもとにいろいろ描いていたら「Doughboy」が生まれたんだよね。「Doughboy」は簡単に描けるキャラクターだからその後もずっと描いてきたんだ。その時実際にリリースされたデッキは僕のコンセプトとは全く違っていて、トラックの真下を潜ってデザインされてないから実は好きじゃないんだけどね(笑)。まあ、全然問題ないんだけど、ははは。だけど「Doughboy」は僕が思っていたよりも注目される様になって、「みんなからあの黄色い男は何?」とか「Doughboy」を描いてよ、とか言われるようになった。

C:アートのインスピレーションはどこから来るんでしょうか?

L:う~ん、普段の生活のあらゆるところからだよ。大きいのは僕の家族、つまりワイフと息子の存在かな。気ままに暮らしているとても恵まれた環境にいるよ。この小さなオモチャをずっと追いかけ続けていたら夢が叶ったんだ。つまり自分の自由な人生そのものからインスパイアされているってことだ。朝起きて、奥さんとお茶を飲んで、聖書を少しだけ読んで、そして早い時間にスケートをやって、、、。

C:LanceがLAのHeel Bruise(カカトの打撲の意味)というスケート・アパレル・ブランドとコラボした経緯について聞かせて下さい。実はHeel BruiseはこのRiddim Onlineに広告を出してサポートしているんですよ。

L:Richard Mulder(もとChocolateのプロでHeel Bruiseのオーナー), Kurt Hayashi(フィルマー), Matt Beach(プロスケーター), Jon Humphries(フォトグラファー)と僕は3年間同じアパートメントに住んでいたんだ。だからみんなとよく遊んだ仲なんだよ。Richardと僕は永い間ずっと友達だったから、それがアートショウの為だったのか、Tシャツを作りたいっていう話しだったのかはよく覚えていないけど「どういう作品がいいかな?」っていう話しをするためにRichardとThomas(Heel Bruiseのデザイナー)が僕の家にやって来て、昔の写真やドローイングを漁り始めて、昔やったSuicidal Tendenciesのドローイングを見つけたんだ。最初はそれがTシャツになったんだ。

C:あと若い頃のLanceの顔写真がプリントされたフォトTもありましたよ。

L:あぁ、そうだった(笑)。あれはスピード写真で撮ったやつだよね。あのTシャツはけっこう好きだよ(笑)。Richardとはとても良い友達だ。

C:あのSucidal Tendenciesのグラフィックはどういうことなんでしょうか?

L:1983年のことだけど、Glen E. Friedman(Black Flag, Dead Kennedys, Bad Brains, Run-D.M.C., KRS-Oneなどサブカルチャーやライフスタイルを70年代から記録し続けてきたフォトグラファー)が僕のインタビューをしたことがあるんだ。ちょうど彼はスケート以外の写真も取り始めるようになっていて、色々なバンドともリンクし始めていたんだ。当時の僕はSuicidal Tendenciesを良く知らなかったけど、Glenが「いいバンドだからグラフィックをやってみないか?」って誘ってくれて、それで「ギャラはいくら貰えるか?、、、ホントは払ってくれるかどうかも分からないけど、Suicidal Tendenciesのショウには入れてあげられるよ」って言われて、僕はあまり乗り気じゃなかったんだ。本当のことを言えば一緒に出ていたThe Toy Dollsっていうバンドが見たかったから行ったんだ。だからあのドローイングは、実は会場の外で入る前に描いたやつなんだよ。中に入ったらモッシュしていた客が僕の顎と歯に頭突きしてきて、俺の歯が欠けちゃってさ。だからあれがギャラだったのかもしれないね(笑)。

C:ははは、それはパンクバンドらしいギャラの支払われ方ですね。それでは次のプロジェクトは?

L: 今一番力を入れているのはNike SBのビデオ撮りかな。でもいっつも足を痛めたり、他の事をやらなくてはいけなかったりして邪魔が入ってるけどね。アート・プロジェクトで言えば、●●●●●と一緒に仕事しているよ。

C:えー、スゴイですね!

L:あっ、今はまだ名前を出しちゃいけないんだ。世界的に有名なグラフィック・アーティストと一緒に仕事しているってことにしておいて。あとはまたアメリカに戻ったらコーヒー・テーブルを作り始めるし、、、。

C:それってプールになってるやつですか?

L:そうそう。トニー・ホークにDel Mar(1987年にクローズしたサンディエゴの歴史的プール)の形をしたもので作ってと言われてもう1年経っちゃってるからやらなきゃいけないんだよね。色々な写真を見て忠実に作る様にしてる。以前作ったNude Bowl (90年代初頭に事件が起きて取り壊されたリバーサイド・カントリーにあったプール)は描かれてたグラフィティーまで全部描いたんだよ。あとはフロリダのTampa Pro 2013のコンテストに行くんだ。Tampaコンテストが今年20周年になるんだけど、NikeがサポートしているからポスターやトロフィーのデザインをDoughboyでデザインすることになったんだよ。なんかいっぱいやる事あるなァ(笑)、でも自分の中ではNikeのビデオ撮りが一番だよ。楽しみにしていてね!

C:そうなんですか。ってことはやっぱりスケートが中心ですね。でも最近はスキルの高いスケーターがゴロゴロ出てきていますし、プロスケーターという職業で食べていくのは競争が激しすぎてなかなか大変だと思います。そんな中でスケートの他にブランドを立ち上げたり、音楽であったり、アートであったりというものをやるスケーターも増えていると思うのですが、それら両方をやろうとしている人にLanceからのアドバイスはありますか?

L:う~ん、スケートは出来る限りハードに、そして永く滑ってほしい。これに尽きるね。まだプロとして出来るのに途中で何かをやらないで欲しいな。ほとんどのプロスケーターには空いた時間もあるだろうし他に興味があるものを追求するお金もあると思うんだけど、今という時間を賢く使ってスケートとあなた自身を裏切らないで欲しい。もしプロだったとしたらデッキに乗っている時間を出来る限り作り、スポンサーが付いていなかった頃の様にスケートを愛して欲しい。素晴らしい時間は永遠には続かないのさ。自分が思っているよりもとても短く、あっという間に終わってしまうものだからね。あなたのことを誰も必要としなくなった時には、お金や名声さえもこの現実の世界では何もならないものだからね。