STREET

Six Stair

 
   

Interview by Yosuke“CB”Ishii Photo by Arto Saari

2018年6月にRiddimOnlineに掲載されたインタビューです。

現在多くのスケート・ビデオ・カンパニーが存在するが、フィルムを使った独特の作品はSix Stairが世界をリードしてきた。

80年代に東海岸の別々の街でスケートをしていた2人BuddyとRickは、憧れの西海岸とプール・スケーティングを渇望し、それぞれスケート・トリップを繰り返していた。そこで学んできた情報やD.I.Y.スピリットを生かして、ローカルでお手製のスケートセクションを作り、自分たちの仲間とD.I.Y.のパンクショウやスケートコンテストを実現。そのバックボーンが現在のスケートフィルムを作ることに繋がったという。自分たちが愛してやまないクリエイティブなアーティストたち、ミュージシャン、スケーターなどに惹かれていた二人は一緒にフィルムを作ることになり、Anti Heroとは必然のように出会い、いまやレッチリやパール・ジャムとも仕事をしている。

●2人は最初どの様に出会いましたか?

Buddy Nichols(以下、B) :当時のスケーターが行きたい国内のスポットといえば5つくらいしかなかった。90年のことだよ。僕はオレゴンから、Rickはペンシルベニアからのスケート・トリップで偶然Jeff Phillips Skateparkで出会ったけど、連絡先を交換してないから再会することはなかった。お互いスケート・トリップを繰り返す生活をしていて、96年にニューヨークのランプでRickが滑っているのを見つけてから一緒にスケートをするようになったんだ。お互いにシューティングなどの小さなプロジェクトをやってたけど、1人でやり遂げるには大変だと思える大きなアイデアが浮かんで、一緒に作品を作ろうということになったんだ。そのアイディアはフィルムで撮るということで『Fruit Of The Vine』ができたんだ。僕たちが2人で撮ることになったきっかけは、せっかくトリップに出たんだからスケートをしたかったってことさ。2人なら交代しながら1人がスケート、もう1人が撮影すればいい。僕らのトリップではスケートも撮影も同じくらいのモチベーションなんだ。だから2人というのは理に適っていたんだ。それを何年も続けて来ただけだ。

Rick Charnoski(以下、R) :だからスケートだけをして撮影しないというのは僕らにとってはストレスでもあるんだ。僕たちは常に滑った環境のストーリーを伝えたいという想いがある。スケートだけをしていたらそこに存在していたグラフィティや屋根の上からのプールの景色や、誰かが作っていたモノなどを見落としてしまう。僕らはトリップで目にする人や環境を収めておいて行ったところの背景も伝えたい。僕らが『Fruit Of The Vine』を作り始めた頃はスケートが下り坂の時期だった。今ならどこででもスケートの映像や歴史を簡単に見ることができる。だけど、当時の僕らは心底夢中になっているスケートへのマジの愛を見せたくて、意識的に“これこそスケーターだ”と伝えようとして『Fruit Of The Vine』を完成させたんだ。それをまた同じ場所へトリップに行ってスケーターたちに作品を見せてまわった。ストーリーを共有したんだよ。それを見たキッズたちは感激してくれた。それが初期の僕らの一番の勲章だった。

●ではもともと『Fruit Of The Vine』は販売しようと思ってなかったのですか?

B:売るつもりはなかった。まずはフィルム・カメラを使えるようになりたかった。ただ純粋にストーリーを伝えたかった。もっといえばプールを沢山滑りたかった。僕ら2人はサザンカリフォルニアで育ったわけじゃないからバックヤードプールを滑る経験がほぼなかった。だからフィルムに撮りたかったのが一番で、販売は二の次だった。僕たちはお金を貯めてなんとかお金をやりくりしたし、クレジットカードも使いまくったね。とりあえずVHSで500本売れたらちょっと格好が付くかもね、なんて考えて他人の反応をみたんだ。それが最終的にはVHSの後にDVDも再リリースしたから合計で30,000本以上が売れることになった。

●それは凄い!もちろん僕も買いました。

B:僕らは行く先々で見せて販売したんだ。そうやって家に戻ってくると今度はスケートショップからオーダーが入るようになった。なぜなら99年当時はプールだけにフォーカスした作品は他になかったんだ。プールに興味があったアメリカ国内のスケーター全員が反応したんだ。プールものはあれしか存在しなかったんだよ(笑)

R:そうなんだよ。『Dogtown and Z-Boys』だってまだ公開される前の話だからね。みんながプールを気にしていなかったわけじゃないけど、ディープに見たことがなかったんだ。だからあの作品は面白かったんだよ。スケーターじゃない奴もそこら辺の女も色々な人があの作品を見に来たんだ。だから「あの作品をお父さんが大好きなんだ」とか「お母さんと一緒に見たんだ」
とか色々耳にしたよ。SALBAやLance Mountainも見に来てくれて頷きながら見ているんだ。それは全く予想していなかったことだ。あの中にTony AlvaのパートがあるんだけどそれをLAで見せてた時にはあのStacy Peraltaもやって来て、僕らに色々聞いてきたんだよ。僕らの思いついた小さなことから本当に火がついたんだ。

B:それに99年の時にはもうあと2年もすればプール・スケーティングはなくなってしまうだろうと思っていたんだ。おそらく僕たちがプールに興味を持った最後の2人だと思ってたんだ(笑)。 なぜなら当時は誰も興味を示さなかったからね。シューズはバッシュみたいに大きな時代で、Geoff RowleyやArto Saariの時代だったから昔のスケーターには興味を持っていなかった。いまプールを滑ってる同年代から上のスケーターはあと数年でスケートをやめちゃうだろうと思われてた。ひょっとしたらSALBAもやめちゃうかなとかね。今でこそプールスケーティングはメジャーになったからそんなこと言ったらクレイジーだけどね。数ヶ月前にRaven Tershyのママとイベントで会ったら、Ravenは『Fruit Of The Vine』と『Northwest』の2本を見て育ったんだって言ってた。プールスケーティングの作品を作ったことで、少しでもプールスケーティングのためになって火が消えることがない効果があったらクールなことだ。お金よりも売れたということよりも何よりもだ。それは僕らの予想よりも遥かに大きかった。スケートに貢献できたことが嬉しいよ。

●なぜプール・スケーティングのない環境で育ったのにそんなにプールに興味があったの?

R:イーストコーストで育つとプールを滑れるのは1度か2度なんだ。僕にとっては究極のスケート・スポットなんだ。

B:当時僕たちがスケートした全ての物はバックヤードプールにあるものと繋がっていたんだ。ランプを作ってもプールと似たようなRであり、カーブをグラインドするにしてもプールでグラインドをしているようにグラインドをしていた。なぜなら当時のThrasherはプールス・ケーティングが究極だと発信していた。スケートボードは空のプールを滑るためだという風に育った。だからみんながやりたかった。他のスケーティングは全てプールの代わりで、全てはプールで滑るための準備だった。例えば4年バートランプ(3m超のハープパイプ)を滑っていたとしても、それはプールを滑るためでプールを滑らなきゃダメだったんだよ。その為には州を3つ跨いでも出かけた。それはThrasherでMOFOが書いていた記事かもしれないけど、いつもクールだと思う写真はプールだったんだ。

R:それに(プールで滑るのは)不法侵入がついて回るし、とても良い状態のプールを探すのはサーフィンの波を探すよりも難しかった。超レアだった。どこからか情報を貰い、知らない人のバックヤードに不法侵入してそこでの楽しみを追求するまでの全てのことが魅力的だったんだ。サザンカリフォルニアのプールは、たぶん50年〜60年代に作られたもので、当時はそこでパーティをしていた筈だけど、今はゴミの穴になったプールに何人ものスケーターが入り込んでビールを飲みながら熱く滑ってるわけだよ。最高だろ。それがスケートなんだ。

●ははは、日本にはないカルチャーですね。『Fruit Of The Vine』をなぜSuper8で撮影したのですか?

B:僕がSuper8で連想したのは1960年代のホームビデオなんだ。60年代からあるバックヤード・プールを撮影するなら敢えて同じ手段で撮るのが良いと思ったんだ。当時Super8は終わりを迎えていたから、良く考えてから撮影しなきゃいけなかった。

R:フィルムは高いし、1本のフィルムで撮影できる時間も短いから意識して撮影しなきゃいけなかった。撮影に制約があったからそこにきちんとした意味がないとだめだからね。撮影して見てみると、もうそれだけでショートフィルムのようにも感じられたし、編集する必要がないかもって思う時もあった。とても職人的ともいうかな。それにSuper8で撮るよと言うと、スケーターもいつも以上に頑張るしベストショットが撮れるようにお互いに努力するからそこも良かったね。

●誰が一番プールを上手く滑りますか?

R:Tony Alvaはベストなプール・スケーターの1人だったね。

B:僕たちは何度もLance Mountainとプールで一緒に滑ったけどLanceはライン取りが一番早いと思うね。今はトリックが多様化しているからベストを決めるのは無理だけど素晴らしい滑りをするという意味では彼だよ。

R:今のキッズはどこでも何でも滑るよね。だからプール・スケーターという括りを作るとすればSalba, Lanceになるよね。

B:Lanceは僕らが1ヶ月滑っていたプールでも、到着して10分でグラインドしてハンドプラントして、リーントゥテールをして、、

R:フロントサイドロックもするな

B:54歳のLanceが10代のスケーターに混じって滑って5回目か6回目のランでファストプラントをメイクするんだ。あんなに楽しくプールを滑る奴はいないよ。

●一番好きなスケートビデオはなんですか?

B:良い質問だね、何だろう。

R:僕は『Bones Brigade Video Show』かな。説明が難しいんだけど子供の時に見た『オズの魔法使い』で感じた、どこか不気味で魅惑的な感覚に似ていた。それも憧れのカリフォルニアの作品だったしね。

B:これはちょっと答えとしておかしいんだけど僕にとっては『Fruit Of The Vine』が一番になるかな。あれを見るとすごくハイになるんだ。もちろん子供の時に見たビデオでもそういう気分にはなったけど、あれを作ったことでさらにスケートにのめり込んだしね。沢山のスケーターに会ってめちゃくちゃスケートもした。それに当たり前だけどアメリカ全土で見せてまわったから今までで一番見た作品だよ。何年間もスケートビデオを見続けてきた後で、あれが僕の作りたいビデオだったしね。本当に編集をしている時から凄く興奮したんだ。

●あなたたちのSix Stairという名前はどこから来たんですか?

B:僕らは10年前にこのLAのオフィスに引っ越してきたんだけど、向かい側にある6段の階段からだよ。『Yeah Right!』のMike Carrollのパートでも一瞬出てくるよ。僕たちは単純にジョークで手前の段差からオーリーで乗ってから6段の階段をオーリーでメイク出来たらその名前にしようって決めて、2人ともメイク出来たんだ(笑) 。

●Six Stairにとって大きな転機となった作品はどれですか?

R:『Tent City』でしょ。

B:『Tent City』だね。

R:『Fruit Of The Vine』と『Northwest』の2本を出して、何をしようかまだ僕らは定まっていなかった。そんなある日、友達のPeter HewittがAnti Heroのチームとニューヨークへ来るということになってJulien Strangerが『Fruit Of The Vine』と『Northwest』を気に入っているから次のAnti Heroのビデオの件で話したいと言って来た。そうしてAnti Heroのメンバーと会うことになり、2003年に『Tent City』が完成したんだ。それが僕らにとっては初めての商業的な仕事だったんだ。Anti Heroは当時からベストなスケートカンパニーだった。

●あの『Tent City』の表紙になっている大きなフルパイプにガイドしてくれたのは誰なんですか?

B:お~、それは良い質問だ。パティというスケーターが連れてってくれたんだ。

●彼はローカルスケーターってことですか?

B:いや、あそこは何もない場所だからローカルすらいない。以前に誰かが1度や2度は滑ったことがあったみたいだね。でもあそこは本当に大きいから掃除もすごく大変で、あの時は6mくらいまで掃除したのかな。でもあの物凄い高さまで滑り上がった人はAnti Heroが初めてだと思う。というか何年か前にHell Ride CrewだったかThrasherのトリップだったか分からないけど近しいスケーターが一度行ったことがあったらしい。だけど滑り出そうって時にJake Phelps(Thrasherの編集長)が頭を強打してトンボ返りしたみたいなんだ。そのストーリーだけをみんなが知っていて、これが“噂のフルパイプか”とみんなが興奮して滑っていたんだ。

R:あれは行くまで本当に遠かったけど、到着したらフルパイプの壮大さにみんなが声を失ったね。

B:想像してみてよ。当時あの巨大な場所に連れて行くとしたら、それはTNT(Tony Trujillo)とJohn CardielとPeter Hewitt以外にはいないだろう。ラッキーなことにその3人があの時は揃っていたんだよ。

R:それに僕らはあのトリップでAnti Heroのメンバーと仲良くなれて今でも良い関係が続いている。Julien StrangerとAnti Heroの作品作りをしていることで僕らをずっと宣伝してくれているしあの『Tent City』がなければ僕らは今ここにいない。これからもAnti Heroと関係していければ良いなと思っているよ。Anti Heroはいつも良いアイデアがある。

●あなたたちは、今やRed Hot Chili Peppers 「Dark Necessities」などのPVをやるほどになっています。 その中でもPearl Jamの『Vote for Change Tour 2004』(変えるために投票しろ)の動画を見たことがあります。あのようにアメリカでは影響力のある人たちが“もっと政治に関心を持つように”と運動を起こすことにすごく感銘を受けました。

B:本当は僕らじゃなくて他の人をPearl JamのベーシストのJeff Amentに紹介したみたいだけど、そいつの都合が悪かったらしく僕らに連絡が来たんだ。それでマディソンスクウェア・ガーデンの20,000人のコンサートを見に行ってPearl Jamがまだバンドを続けていたんだって知るんだけどね(笑)。Jeffとは、その数ヶ月後にカリフォルニアで一緒にプールで滑ったんだ。その時に「ツアーに付いてこないか?」って誘われてさ。バンドの他のメンバーもとても良い人たちで、長い時間と労力を他人の為に捧げていて、チャリティーもやっている正しいバンドだと思う。

R:あれほどの名声と影響力を持つ人たちが自分たちのパワーを素晴らしい方法で利用している良い例の1つだよね。資金集めのイベントを沢山開き、多くの人たちに訴えている。多くのミュージシャンが力を合わせて、大統領選で投票する為に登録所で登録をして選挙権を得るように投票日まで国民に向けて運動した。あの時はブッシュとケリーの争いだった。

B:彼らと一緒に動いて何か変化を生み出そうとする姿勢を間近で見られてとても良い経験だった。あれだけ有名なのに全員が謙虚でロックスター気取りの変な奴はいないしね。

●でも残念ながらブッシュが勝ってしまいましたね。

B:そうなんだよ(笑)。当初はあの映像はもっと大々的に扱われる予定だった。彼らもブッシュが勝って物凄く落ち込んじゃってさ。突然僕たちが撮ってきたフィルムのことを考えることすら嫌になっちゃったんだ。

●はははは

B:だって、誰が失敗で終わるツアー動画を見たいって思うんだよ(笑)。

R:あれは本当にクラらったよ。大統領選の当日にバンドのメンバーとシアトルへ飛んで、あのドキュメンタリーのラストシーンを収録しに行ってたんだ。Pearl Jamだけのささやかなイベントもあってさ。まあ要するに本来ならパーティだよね。だけど座って選挙速報を見ながらブッシュが多くの州を次々に獲得していくのをず〜っと追ってるだけなんだ。僕たちは車もないしどこへも逃げられず、あんなに居心地の悪いパーティーはなかったね(笑)。本来であれば超クールな結末を迎えるドキュメンタリーになるはずだったんだけど。

B:僕らも選挙の結果に本当にガッカリした。終わったな、これは映像にはならないだろうってね。ブッシュが勝ってしまっただけじゃなく、撮りためてきた映像も台無しだしもう居場所も無いなってね(笑)。

●『Vote for Change』という運動はまだ続いているのですか?

B:いや、あれはたぶんあの時だけだったはず。映像は完成させていたけど次の2008年の大統領選まで公開しなかったんだ。その時にもう一度シアトルまで行って公開して、今度はオバマが勝ったんだ。それでみんながハッピーになり限定的にウェブにもアップされた。でも4年前の映像だったからちょっと微妙に捕らえられたかもしれないね。

●そして今はドナルド・トランプが大統領ですが?

B:そうなんだよ、またクソに戻っちまった!

R:何て言ったらいいか分からない。ノーコメントだ。コメディアンはよく笑いに政治ネタを使うけど、今はコメディアンですらネタにしないくらいだよ。なぜならトランプでは面白いネタに出来ないんだ。ジョークのオチにすら出来ないくらいあいつ自身がギャグなんだってね。ジョークにするのが簡単すぎて、子供を虐めてるみたいっていうかさ。終わってるんだよ。

●2007年にガズ・ヴァン・サント監督による『パラノイドパーク』でスケートシーンが出てきますが、あれは二人が担当したんですよね?映画に使われたのはあれが初めてですか?

R:そうだね。以前オーストラリアのメルボルン・インターナショナル・フィルムフェスティバルのディレクターをしていたジェームズ・ヒューイソンが僕たちのことをとても評価してくれて、オーストラリアに招待されて『Fruit Of The Vine』を上映したんだ。正直僕たちはフィルムメイキングのことなんて大して知らなかったし、フィルムフェスティバルのことすらよく知らなかった。だからなぜ僕たちの作品が?と思ったけど、でもそこでウォン・カーワァイの映画を撮っているカメラマンのクリストファー・ドイルを紹介されて、彼は『裸足の1500マイル』とかも撮影している人なんだけど、彼が次のガズ・ヴァン・サントの映画を撮っていると言ってたんだ。その後、ガズ・ヴァン・サントから電話で「スケートの映像を使いたいって言ってきた。最初に渡した映像を気に入ってくれなくて、もっと他のやり方で撮らないとダメだということになってSteve Olson, Omar Hassanをパイプに連れて行って撮影したり、あとは『Tent City』で撮っていた映像も少し使われたかな。面白い経験だったよ。

●スケートビデオを作っていたハリウッド映画監督といえばスパイク・ジョーンズが挙げられますが、彼から影響を受けていたりはしますか?

R:う~ん、それほどでもないけど彼のクリエイティブな才能には楽しませてもらっているよ。トニー・ホークがスケートボードのスポークスマンであるようにスパイク・ジョーンズのような世界的に有名な人がスケートボードの畑から出てきてクリエイティブなフィルムを作っているっていうのは嬉しいよね。

B:本当に素晴らしい才能を持った人だからね。

●あなたたちのSix Stairはなぜ評価されていると思いますか?

B:『Fruit Of The Vine』が評価された話しと重なるけど、あのジャンルが好きな人たちに受け入れられたことかな。僕たちは他の人が作らなかったタイプのスケートビデオを作り続けることでスケートの世界に役割を持つことが出来た。僕たちは大きな作品を作ろうと計画していたわけではなく、単に僕たち自身が興味のあるスケートビデオを作ろうとしてきた。僕たちの為にもね。それが人々に興味を持たれた(笑)。面白いことにスケートボードは今まで最もヴィジュアル的に表現されたものだと思う。異なるアングル、異なる人々、異なるビデオからね。それも世界中でだ。インスタグラムを見ればスケーターが自分たちのスケートを撮ってアップしているのが1日にゴマンとある。同時にまだスケーターが見せていないシーンも沢山あるわけだ。だから僕たちはそこも見せている。欠けたコーピングの溝などの状況やヒストリーだよね。Vansが配信している僕たちの動画『Jeff Grosso’s Loveletters to Skateboarding』を始めた当初は、あまりスケートのヒストリーに関心を示している人はいなかった。もちろん『Dogtown and Z-Boys』が公開された後は少しはそういう波が起きていたし、あの作品は凄い影響力があったと思うけどね。

R:それとやっぱり僕たちはスケーターだってことだと思う。だから時間をかけて然るべき人達に然るべき場所でリアルなストーリーを聞くことができた。ドキュメンタリーに興味があったからね。だからディテールにもフォーカスしていたし、それはひょっとしたらみんなの疑問に答えていたかもしれないんだ。それと僕たちにはとても面白いパーソナリティーを持った友達が多いね。

●現在進行中だというインディペンデント・フィルムの『Warm Blood』について聞かせてください。Rickが監督と脚本をやっていますよね。

R:脚本は僕とさっき紹介したアミエル・コーティン・ウィルソンもやっているよ。今までやったことのない“映画”にトライしているんだけど、そこへの精神も出ている人たちも変わらないよ。2人のメイン・キャラクターはパークで出会ったスケーターを採用して、多くのスケーターやパンクロッカーなどの仲間も出ているよ。Steve OlsonやAndy Royも少し出てくる。低予算の中で他の仕事の合間に撮影をしてきたから、もうスタートして7年になる。全て16mmのフィルムで撮影しているんだ。

●ドキュメンタリー・フィルムではないの?

R:ドキュメンタリーの要素も多く入った準ドキュメンタリーかな。リアルライフのシチュエーションが多く入っているからね。だから俳優に指示を出したりもするけど、彼らに任せている部分もある。アイデアは僕たちが今までやってきたこととあまり変わらない。情報を沢山集めてそれにストーリーを少し加えた。怒りや社会的疎外を表現したパンクロック・ムービーだよ。何人かのキッズを荒廃した町、モデストで撮影している。

●モデストってそんなに荒廃した街でしたっけ?僕は近くのリポン・スケートパークへは何度も滑りに行きましたが、そんな感じはしなかったですね。

B:う~ん、同じエリアだけどリポン・スケートパークから30キロくらい離れてるのかな。ちょっと行くだけで危ない感じになっていくんだ。どこの街にもそういう場所はあるけどあそこはもう一段階レベルが上がるかな。

●いつ頃完成しそうなんですか?

R:今年中に終われたらいいなと思ってるよ。

●最後に、先日Thrasherのウェブサイトに公開された『Lower Bob’s P-Stone Invitational Contest』の模様は80年代のNSAのコンテストビデオのように編集されていましたが、あれは誰のアイデアですか?

Rick & Buddyが揃って、「Julien(Stranger)だよ!!」

B:Julienと僕たちは同じ時代を過ごしているんだ。だからJulienがコンテストそのものもあれに近づけてやろうって言ったんだ。賞金は出ないけど出場者は招待制にしてね。あのコンテストでは誰もお金を求めていないし、あれはみんながあそこに集まるエネルギーの一部になりたくてあの”P-Stone追悼コンテスト”という日を楽しむものだった。あの短い中であんなにクレイジーでイカしたスケーティングを見れたのは今までなかったよ。みんなが本当に楽しんでいて、撮っている僕らも楽しくて、映像もとてもクールなものに仕上がった。Julienには素晴らしいアイデアがあるよ。間違いなく頭もキレて面白い男だよ。

●楽しい話を今日はありがとう!