MUSIC

BB Seaton

 
   

Interview by Shizuo”EC”Ishii (石井志津男) Photo by Nick Caro

2017年1月にRiddimOnlineに掲載された記事です。

60年を越える長いジャマイカ音楽史の中で燻し銀のごとく輝く「Over The Rainbow's End」「ABC Rocksteady」「Hard To Confess」など多くのヒット曲を持つGaylads。そのほとんどの曲を作曲しているのがBB シートンだ。Gayladsとしてだけでなくソロとしてのヒットも多く、自らレーベルを主宰するジャマイカ音楽界のキーマンの1人である。あまり知られてはいないがKen BootheやMelodians、Delroy Wilsonにまでヒット曲を書いていた才能の持ち主。現在はロンドン在住のBBに、来日決定後の元旦インタヴュー!

●ハッピー・ニュー・イヤー!いよいよ今年は来日だね。BBと呼ばれるようになったのは?

BB Seaton (以下、BB):母が自分のことを”Bibby”と呼んでたんだ。子供をBabyと呼ぶみたいにね。それに自分が B.B. Kingが好きだったから、それで”B.B.”って呼ぶようになったのさ。

●いつ頃から歌い始めたのですか?

BB:1960年ごろだ。1944年生まれだから16才のころだね。それからずっとだよ。今72才だ(笑)。歌うのが好きなんだ。今までたくさんのヒット曲を歌ってきた。The Gayladsの前にBibby & The Astronautsとしても活動していたし、The Messengers をKen Boothe、Busty Brown、Lloyd Charmersらとやっていたこともある。だから長いことやっているよ。

●最初にリリースした楽曲やレーベルを教えてください。The Gaylads としての活動はいつからですか?

BB:The Gayladsの前の話だが1960年にハリス・シートンとして「Tell Me」、2曲目に「Only You
という曲をRoland & Powieからリリースしたのが最初だ。その後、Delano Stewart と二人でWinston & Bibbyというデュオを組んで歌っていたんだ。自分たちで作曲したSKAなどを演っていたよ。1964年にはMaurice Roberts が加入してThe Gaylads になったんだ。グループの最初の楽曲は「Brown Skin Gal」だ。ジャマイカの伝統的な曲で、他にもそういった曲を歌っていた。The Gayladsは自分達で作曲して演奏できることにコクソンが気付いて、それでスタジオ・ワンで録音し始めたわけだ。

●スタジオ・ワンではレコーディング以外に何をしていましたか?

BB:スタジオ・ワンではいくつかのことをやっていた。A&Rマンとしてアーティストのオーディションをしたり、自分たちのグループはバッキング・ヴォーカルとしてKen Parker、Delroy Wilson、Ken Bootheらソロアーティストはもちろん、たくさんの曲に参加していた。最初にJackie Mittooをスタジオ・ワンに連れて行ったのは私だよ。Jackie Mittooと一緒にコクソンのいわゆる右腕だったと言ってもいいと思う。あの素晴らしいThe Heptonesのオーディションも私がしたんだよ。今はWe the People BandをやってるLloyd ParksのThe Termitesもだ。自分はグループのメンバーやソロシンガーとして録音する以外にもそういったことをスタジオ・ワンで忙しくやっていた。

●毎日行っていたのですか?

BB:そうだね。週4~5日はスタジオ・ワンにいた。

●あなたは曲をどうやって作曲するんですか?ギターですか?

BB:ギターも練習して弾くようになったけど、The Gayladsはバンドでもあったからね。「Love Me With All Your Heart」などの楽曲は The Gayladsバンドで作曲したんだ。スタジオ・ワンの多くのアーティストのバックアップをしていた。Slim Smith の「Born to Love」、The Heptonesの「Gun Man Coming To Town」などの曲もThe Gayladsバンドの演奏によるものなんだ。音楽理論を勉強したから楽譜を読めるし書けるし、いくつかの楽器も演奏するよ。Matt Soundsにもレゲエをどうやって演奏するのか見せることができるよ。

●The Gayladsはスタジオ・ワンのアルバム『Soul Beat』とかシングルの何枚かは持ってるよ。実はTrojanから出てた『Best of Gaylads』は先月ロンドンから購入したんだ。 

BB:その『Soul Beat』というアルバムはThe Gayladsバンドが演奏したものだよ。「Peculiar Man」とか、そのアルバムのほとんどの曲がそうだ。

●なるほど、それで分った!Soul Vendorsっぽくないなとずっと思っていたんだ。Soul Beatという自身のレーベルをどうして始めたのですか ?

BB:この業界にいて、ずっと他人のためだけに歌い続けたいとは思わないよね。自分のためにすることをトライするのは自然なことだと思うんだ。それでSoul Beatという自分のカンパニーを始めたんだ。そのアルバムの「The Soul Beat」っていう名の曲からとったんだ。だから、Roots International / Soul Beat というレーベル、そしてとても多くの曲を作曲してきたから音楽出版社を運営している。それらを所有したいと思ったからね。そういう意味では野心的な男だろ(笑)。沢山のアーティストに曲を提供してきたからね。

●レーベルを始めたのはスタジオ・ワンの後かい?

BB:そう、スタジオ・ワンの後に「Joy in the Morning」、「She Want It」とか何曲かをWest Indies Records(WIRL)でレコーディングした。その後、ソニア・ポッテンジャーのTip Top Recordsで「Hard to Confess」「I Need Your Loving」「Over The Rainbow’s End」「ABC Rocksteady」だね。それからレスリー・コングのBeverley’sに移って、「There’s A Fire」「My Jamaican Girl」などのヒット曲、そして3枚目のアルバム『Fire And Rain』を作った。
「My Jamaican Girl」は自分のバンドで録音したんだ。メンバーは、Ken Boothe がオルガン、Joe White がピアノ、自分はギター、Maurice Robertsがベース、Derrick Stewartがドラム、Derrick Hinds がトロンボーン、それが私のバンド、Conscious Mindsだ。そう長い間やってきてるんだ。

●Ken Bootheの曲も書いてたよね。

BB: 彼の「Freedom Street」は知ってるかい? 私は26曲ほど彼の曲を作曲している。最初の曲は「The Girl I Left Behind」、そして「Freedom Street」「Say You」、彼のBeverley’s からのアルバムの5曲ほどがそうだ。彼の声が好きなんだ。Ken Bootheは私にとって今でもとてもいい友達で、ジャマイカにいるときは連絡し合うんだ。あとDelroy Wilson、Marcia Griffiths、Jimmy London、それに The Melodiansの楽曲「Swing And Dine」「Personally Speaking」もそうなんだよ。いろいろなアーティストに沢山のヒット曲を書いてきた。それが自分の長所だと思う。レゲエが大好きで、60年代からもう56年間もこのミュージック・ビジネス界にいるよ。そうやってお金を得てきたんだ。

●Linksというレーベルについては?

BB: それは1969年に始めたジャマイカ音楽史上初めてアーティスト達が自分たちのレコーディングした曲を所有するレーベルなんだ。LinksはKen Boothe、Delroy Wilson、The Melodians、The Gayladsらがいる。The Melodians の「It Comes and Goes」や「Sweet Rose」をレコーディングした。チャート・インもしたよ。Delroy Wilsonに作曲した「Give Love A Try」や 「I’ll never hurt you 」もそのレーベルからリリースされた。Ken Boothe の「Can't You See」などのクラシックも生まれたよ。Gayladsは「Looking For A Girl」と「Aren't You The Guy」と言う曲がある。でもプロデューサーたちからのプレッシャーもあって長くは続かなかったけど、いい努力だったと今でも思っているよ。

●The Melodiansの3人とBrent Doweソロとそれぞれ一回ずつ過去に来日させたことがあってとてもいいショウだったよ。実はMelodiansとはレコーディングも2曲したんだよ。

BB:そうか。Brentはいい奴だ。彼とはリリースされていないがレコーディングした「Rivers of Sin」って曲がある。未発表だけどね。

●50年以上を経た今現在でも世界中でロックステディが聴かれ続けているのはどうしてだと思う?

BB:なぜなら、ロックしてステディにさせてくれるのさ(笑)。それはビートだと思うよ。多くのアメリカの楽曲をあのビートで演ったんだ。SKAが遅くなってあのリズムになった。スカは我々にとって少し速すぎたんだ。気候も暑いしね。ゆっくりになったんだ。1960年代中頃にロックステディは台頭してきていた。レゲエほど認知されていないけど、そのビートは今カムバックしてきている。ジャマイカで自分も参加した“Ska & Rocksteady Music Festival”(16年11月に1回目がスタート)などもそうだ。自分たちを魅了したロックステディ・サウンドを呼び起こそうと思っているよ。

●またすぐジャマイカに行ってSly& Robbieたちとレコーディングすると聞いたけど?

BB:去年からジャマイカで彼らとアルバムをレコーディングしているんだ。何曲か仕上げられればと思ってこれから行くんだ。それはThe GayladsとしてではなくBB Seatonのアルバムを作っているんだ。完成したらすぐに送るよ。ところでShizuoはどうやって発音するんだ?

EC: シズオだよ。でも誰も僕をファーストネームで呼ぶやつなんていないよ。ずっと前の話だけど、Augustus Pabloが電話してきてIshiiを「Mr.アイシーいるか?」って呼ぶから、会社のスタッフが誰のことを言ってるのか分からなくて、それから呼び方を簡単な”EC”だって教えたら、みんながイーシーって呼ぶようになって、それが1980年代初めの頃・・・(笑)。

BB:あっはは、アイシーって呼ぶのはラスタマンだな。

日本に行けることをとても楽しみにしているよ。以前、名古屋、大阪、福岡、東京に行ったことがあって、新幹線にも乗ったことがある(笑)。日本は大好きだ。日本人も好きだしとても優しいし尊敬してる。
ところで、送ったセットリストはもう見てくれたかい?「Thin Line Between Love And Hate」とか他の曲もそうだけどどう思うかな?

●ええっ、セットリストはまだ受け取ってないな?

BB:そうか、もう一度送っておくよ。