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ECD 『FJCD-015』

 
   

Text by Riddim Photo by kazuko uemoto

2014年7月にRiddimOnlineに掲載された記事です。

●16枚目のアルバム、おめでとうございます。

E:最近だとKOOL KEITHの一番新しいのが19枚目だった。それもソロになってから(笑)。でも、TOO SHORTとかE-40とか、あの辺の枚数はすごいと思うよ。この3年で10枚以上出してるとか。

●そういう先達を見て、「まだまだやらなきゃ」と思われますか?

E:あの人たちはちゃんと商売になってやってるからすごいと思うけど、僕の場合、大した儲けも出ずにやってるわけで。

●そうだとしても、16枚ものアルバムを出し続けるモチベーション、すごいと思います。

E:それは色んな意味で、一番最初に自主制作で出した時、「少なくとも損は出さない程度に売れる」というのがあって。だから、「その程度でも求められていればやっていたいな」という。でもこれが本当に、丸っきり商売にならないとなったら、さすがにね。

●ライブはどれくらいの頻度で?

E:月1、2回くらい、それもオファーはあるんだけど、仕事の絡みで休みがとれずに断ったりとか。そこはずっと平均で年20本くらい、増えも減りもしない。

●以前、ワンマン・ライブに伺った時はパンパンのお客さんでした。

E:その中でも、わりと新陳代謝はあるんだけどね。

●今回リリース・パーティーは?

E:特にないです(笑)。なかなか仕事の休みをとるのが大変なので、「この日に決めてやりましょう」っていうのができない。基本的には、「この日できますか?」って誘われてなんとか工面する感じなので、自分主導のライブがなかなか決められない。

●因みに、どのようなお仕事なんですか?

E:仕事はここ何十年変わってなくて、警備みたいな仕事で、でもそれもあと3年くらい。劇場が勤め先なんだけど取り壊しらしく、そろそろ後のことを考え始めないと。

●漠然とでも決まったことは?

E:何か探さないとね。前のアルバムで「原発廃炉の仕事でもしようかな」というラップはしていて、それも場合によっては。でも、この歳で使ってもらえるかどうか。

●ECDさんは制作時、聴き手のことを意識されているのか、またはもっと、個人としての変化を曲に残していっている意識に近いのか。これは例えば、新しいファン層を開拓しようとしているのか、熱心なファン向けにつくられているのか、、

E:本当は自分の中で一番嬉しいのは、全然今までのECDを知らなくて、初めて聴いて「うわ、やべえ」と思われること。でもそういう、「ずっとECDを聴いてきてくれる人に応えたい」という気持ちもなくはないけど、やっぱり裏切るよね。結果的には(笑)。

●裏切り続けてきても、セールス的にはあまり変わらない?

E:キープしてますね。

●そこも新陳代謝。

E: 離れる人もいるけど、新しい人もいる。本当は16枚も出してると、初めての聴き手としては「どこから聴いたらいいかわからない」みたいな。僕にしたって、例えばフランク・ザッパとか「どっから聴きゃあいいんだ」っていう、下手したらそういうところまできちゃってるなと。特に今回、歌詞には「ある程度今まで聴いてくれてないとわからないよな」って部分が多くて。いきなり聴いた人に対して、これは反省じゃないけど、「その辺もちょっと考えないと」みたいな。そこは、「もう今までの自分じゃない」とか言ってるわりに、今までを知らない人には伝わらないというパラドックス(笑)。

●また、何かとお酒に対する言及が多いような気がしました。もしや、お酒への偏愛が蘇ってきている?

E:いや、ない(笑)。そこはあくまでもキャラ設定というか、「今僕が『酒呑みたい』って言い出したら面白いな」っていう。

●タイトルの、日本語ラップ界の「レジェンド」なり「大御所」とか、実際そう言われがちですか?

E:「重鎮」とかはずっと言われて続けてきて、「嫌だな」って。でもそう言うわりには、結局キャリアの上で物を言っている。だって、本当に新人として出してるわけじゃないし、本気だったら名前も変えて、覆面でもしてやらないと。

●アルバムは「さんピン(・キャンプ)の頃赤ん坊だったMCのCDを買った」という一節から始まってました。

E:若い世代に対して自負があるとすると、僕はラッパーとして「上手い」という評価はないけど、そのわりには、曲はちゃんと残してきているなと。それは「ロンリー・ガール」にしてもそうだし、「サマー・マッドネス」とか、割と曲として記憶に残るものをつくってきてるという。それは最近のシーンとか見てても、仮にシーンの中だけだとしても、ヒット曲ってそんなになくて。

●「ロンリー・ガール」と言えば、K-DUB SHINEさんとは最近も繋がりが?

E:K-DUBとは去年の都知事選で一緒にやった。宇都宮(健児)さんの応援イベントで、渋谷ハチ公前で、久々に「ロンリー・ガール」を。告知が前日くらいだったけど、それだけ観に来てた人もいたりして。

●もしかすると、今やECDさんの方が社会派ラッパーとして活動されているかもしれません。

E:どうなんだろうね。K-DUBには「ECDさんが引っ張る、何か運動を立ち上げて」みたいな話はされて、「いや、そんな時間ないから」って。だって仕事もあるし、そこは正直な気持ちで、僕は基本的には人がやることに乗っかってるだけなので(笑)。

●遡ると、新しいかたちのデモ、サウンド・デモやその流れは2001年の9.11以降、イラクへの派兵反対からになるかと思います。

E:そこは繋がってるようで繋がってない。僕も一旦切れているというか、あの頃に関わっていた感じとは、自分の中でリセットはしている。当時は本当に反権力、反警察みたいな感じがあったけど、今はそういうことじゃない。一番わかりやすいのは、「言うこと聞くような奴らじゃないぞ」というのが僕の歌詞にあって、それが3.11以降、「言うこと聞かせる番だ、オレたちが」に変わった。これは似てるようで全然違う。

●9.11当時から政権交代があり、民主党が自ら瓦解していく中で原発事故が起き、その後安倍首相が選ばれ、しまいには秘密保護法なり集団的自衛権なり、状況は悪くなる一方に感じます。その中でデモ活動を続けてきた手応えは、どんなものでしょう?

E:そこはなんとか、「何かになっているな」とは思ってる。

●具体的に何かは、まだわからない?

E:そこは、「これでデモすらなかったら」みたいなことかな。この状況で抗議行動も何もなかったら、もっとどうなっていたか。「デモがあってもこう」というのが実際のところだと思っているし、そういう意味では状況を「留めてる」、「食い止めてる」部分はあると。

●最近のデモの人数、盛り上がりはいかがですか?

E:それはもちろん、2012年の官邸前の何十万人みたいな爆発的なものはないけども、ずっとしつこくやってるし、みんなでやるべきこともわかってきて、いたずらに騒ぐだけでもない。例えば、どこでどう動いたら新聞の見出しにできるかとか、そういう部分なんかは数だけの問題じゃない。

●そういった部分を、「手応え」と言えるでしょうか?

E:デモに関して言えば、沿道の反応とかは、3.11直後頃の冷たい感じから良くなっている。それはデモ自体が、最初の頃は「迷惑だ」とかだったのに比べて受け入れられてきているし、それとはまた別に、イシューごとに、最近なら「安倍辞めろ」というのが共感を得ている感じがする。

●今、関わられているイシューは「原発」と「ヘイト・スピーチ」、あとは「打倒安倍政権」?

E:そうですね。「風営法問題」とかには一切コミットしてないし。

●これは都知事選でも、参議院選でも、なぜか原発推進派が受かり、そもそも投票率が異常に低く、「最大の敵は無関心」ということもある気がします。何かが「あってる」、「間違ってる」以前に、問題に対して、一人一人がもっと考えるようにならないと、変わることも変わらないと言いますか。

E:そこは突き詰めていくと、結局それは心の中の問題になっていくわけじゃない?他人に対して、「変わってくれよ」という話でしょう。

●一人一人が考えさえすれば、おのずと正論が導かれるはず、という。

E:それは「気付いて欲しい」ということだと思うんだけど、そこについては、僕は「気付いている人でやっていくしかない」と思ってる。どちらかというと、「人の心に入り込んで何かを変えよう」とは思ってない。むしろそれを始めると逆に危険な気がしていて、他人の内面は問題にしない。というか、したくない。思っていることは「今、動ける人が動くしかない」ということで、動かない人についてどうこうとは考えていない。

●ECDさんは、1980年代のデビュー曲が「ピコキュリー」という反原発ソングです。今日に至るまでの間、御自身の中で原発に対する考えや姿勢に変化はありましたか?

E:「ピコキュリー」を書いた頃、原発というものに疑問は持っていたけれども、今回みたいなことになるとは思ってなかった。広瀬隆の本なんかを読んで「事故ったらやばい」と言いはするんだけど、そこは世紀末に向かって「ヤバい」とか「怖い」ということを消費している側面もあって。当時まわりの雰囲気はわりとそういう感じだった。「本当に停めよう」ということじゃなく、自分だって、こうやって実際事故が起きてみてそうだったと思うし。

●世界的な潮流の中で、感度高めな人たちが流行的に「ヤバいよね」と言うスタイルだったのが、リアルに事故が起きてしまった。

E:当時は意味は「地震雲」と同じだったから。そういう意味では、ランキン(・タクシー)さんは当時からすごく真面目に訴えていたと思う。しかも、ずっと途切れない。もんじゅのこととかもすごい勉強して、あの落下事故の時もちゃんと曲にしてたし。

●当時からずっと同時代を通過してきたお2人として、シンパシーみたいなものもありますか?

E:もともと僕がラップを始めてなんとなく上手くいかなくて、ランキンさんを観て「レゲエの方が楽そうだな」と思って始めたのが最初なので(笑)。だからシンパシーというか、なんだろうね。最近だって、官邸前とかでもちょこちょこ会うし。

●会話はある?

E:会話っていう会話はしない。昔からそうだけど、ちょっと言葉交わすくらい。もし、ランキンさんがあの辺からいなくなったらすごいがっかりするとは思うけど(笑)、いるのが当り前の人になっちゃってるから。

●ランキンさんもECDさんをそう見られている?

E:ツイッターとかを見てると、そんな感じはする。今は2人とも官邸前にも毎週行ってるわけではなく、でもたまに一緒になると「お、ECDだ」とかってツイートしてくれたり。

●若い世代で、デモを通じて「こんなのが出てきた」と思う存在は?

E:イラク反戦のデモの時は、本当にB-BOYとか全然いなかったし、それを愚痴ったりしたこともあった。それが最近はB-BOYっぽい子も普通にデモにいるし、311以降、その辺はちょっと変わったかな。

●例えば、DELI君もデモにいる印象があります。

E:DELI君とは一回くらい、サウンドカーに一緒に乗ったことがあるくらい。もっと若い子でDJやってる子とかが割とよく来てるし、僕がこの間ラップでフューチャリングさせてもらった粗悪ビーツとか、あの周辺なんかがわりと。

●一人で16枚のアルバムというのは、国内のミュージシャンで新旧ジャンル問わず、自己を投影できると言いますか、どなたかいますか?

E:なんだかんだで、三上寛さんはずっとやってるよね。ずっとCD、音源を出してるし、ライブもやってるし。ギター一本で日本中ライブして回ってて。それで生活が成り立っていて、それを「羨ましい」っていう風に、すごい思ったことはあった。でも、やっぱり(イリシット・)ツボイ君とやるのが面白いし、今はそんなに思わないけど、なかなかヒップホップでそれはね。若い子で結構そうやってる子もいるし、できないことはないけど、三上寛さんがギターを弾いて歌うっていうのとは全然違うというか。自分で音出しながらラップできる画期的な方法がないか、808だけ持って行ってやったり、一応そういうことを模索した時期もあったんだけど、それはそれで面白いんだけど限界もあって。

●一緒に組まれているのがツボイさんというのも、匹敵するものを一人で実現となると、難しい気がします。

E:でも、何らか一人でやるやり方も、60くらいまでには編みだしたいなとか(笑)。

●ご自分では、還暦を過ぎても余裕でやってる、というお気持ち?

E:心配なのは、今も前の歯がボロボロで。明後日に新しいブリッジが入るんだけど、今度それが壊れると入歯になっちゃうって言われてて、入歯はさすがにラッパーには辛い。今のこの状態でもこの間もライブはなんとかできて、でも、レコーディングとかはさすがに。

●歯はなぜ?

E:もともと前歯は色々あって悪くて、差し歯だったのがブリッジになり、それも壊れて、明後日入るのもどれだけ保つか。

●そんなに酷使している?

E:そんなことはないと思うんだけど、一生で悔やむことがあれば、歯の手入れを怠ってしまったという(笑)。これは絶対酒もあると思うし、あとは小学校5、6年の頃にもの凄いプラモデルにはまってた時期があって、当時は普通にシンナーを溶剤で溶かすという、それもかなり利いてるはず。それで最終的にRUN DMCとONYX来日時に黒人にぶん殴られて、折られて、そこからだね。

●アルバムは最終的に何枚くらいになっていくんでしょう?

E:とりあえずは20枚まで出したら考えるかなと。だからまずはあと4枚くらい。

●例えばですが、後世のリスナーが、その頃に揃っているECDさんの全作品を聴くと、時代の流れと共に、一人の男の成長、機材の変化や社会の変容とか、色々なことがみえてくるのではないかと思います。

E:それはどうだろうね(笑)。結構、行き当たりばったりだから。