CULTURE

藤原ヒロシ 好きなものを正直に「好き」と言っている

 
   

Interview by 有太マンYutaman

2012年8月にRiddimOnlineに掲載されたインタビューです。

高校生で友達に連れて行かれた新宿のクラブで、かかっている曲の格好良さに圧倒された。ジャンルも曲名も何もわからず、ブースに行ってはDJに質問し、そうやって曲を知り出したのが20年も前のこと。それこそJACKSON SISTERSの「I BELIEVE IN MIRACLES」といった定番曲はそうやって覚えたし、毎度図々しくブースまで押しかける高校生に、優しく丁寧に曲を教えてくださったのが藤原ヒロシ氏だった。
 世代がもっと上の方にはそれ以前からのTINNIE PUNXなどでの活躍、そして、その後、ある意味世界現象にまでなった「裏原」の隆盛は言わずもがなだろう。果たして、故川勝正幸氏によるマスターピース「丘の上のパンク」に記されたこと以上に聞き出せることはあるのか。
 少なからず不安を抱えながら、藤原氏に「今」について聞いた。

●最近は音楽活動が活発なんでしょうか?

藤原(以下、F):そうですね。ライブを誘われたらやる感じで。

●「この先に」という曲が発表され、聴かせていただきました。これは私の先入観かもしれませんが、ヒロシさんはこれまで社会の事象と一定の距離を保ってきているかなと思ってきました。そこで、例えば「黒い雨」とか、直接的な表現があったことが意外でした。

F:それも距離を保ちながらですけどね。どちらかと言うと、テレビで観た現実をそのまま歌った感じなんですが。

●やはり福島や放射線のことを指しているのでしょうか?

F:はい。

●現地には行かれましたか?

F:福島には行ってないです。あれは震災の後のツアーで歌っていた曲で、近くで行ったのは仙台ですね。

●世代、個々人によって受け止め方が違うと思いますが、原発に関して何か意見や姿勢をお持ちですか?

F:僕はチェルノブイリの時に本を読んで「原発だめだな」と思ったんですが、逆に今は、今まで原発にすごく頼っていたから、「本当になくなって大丈夫なのかな」と、ちょっとは思いますね。日本は資源もないからどうなのかと思いますが、なくなったらなくなった方がいいとは思います。「こんなに大勢の人が反対しているんだから、なくなればいいのに」とも思います。でもそれと同時に、これだけの人が反対運動をしているのになくさないということは、それ以上に何か国益になるようなこととかがあるのかなとも思うし、ちょっとわからないですね。逆に言うと、みんながよく言ってる東電だったり政府で、この期に及んで誰かが私利私欲のためにやっているとは、僕は思えないですけどね。僕だったら10万人に止めろって言われたら、何があっても止めますね。10万人に死ねって言われたら、さすがに死にますね(笑)。

●何かやむにやまれぬ理由があるのではと。

F:誰かが「原発は本当にオレのところにすごいお金が入るから止めれない」という、単純なものではないと僕は思います。

●また、京都精華大学の先生になるというお話も聞きました。それも私の勝手なイメージですと、以前ならやらなそうなことのような気がしました。

F:そうですか?でも「先生」というイメージでもないですよ。大学なので月に一回とか行って、みんなと話す的な感じです。その大学には何度か講義で行ったこともあって、いい学校だし、「面白いかな」と。

●講師陣には他に細野晴臣さんやスチャダラパーのBOSEさん…

F:佐久間(正英)さんや近田(春夫)さんもいて、逆に生徒になってみんなの講義も聞きたいくらいです。

●どなたかと話されましたか?

F:いや、誰とも話してない(笑)。

●ヒロシさんに関しては、いつも絶妙な「体内時計」についての言及が多くあります。それが今「教える」という方向に向かっているかと思ったのですが。

F:今はでも、たぶんそれは一昔前な感じですね。それは「体内時計」というか、何か新しいものに目を向けたりとか、新しいものが大切だったりとか、情報で仕事になるとか、そういうことは、今あんまりないんじゃないですか。誰でも好きなものを取り出せて、好きなものをすぐ見れる時代なので。

●ではそれをいい社会になってきたと捉えられているのか、むしろ見極め難くぼんやりしてきてしまって、よくないと感じられるのか?

F:そうだね、言われてみればぼんやりしてきたかもしれないね。あんまり考えたことなかったですけど。

●情報が広大に広がり過ぎて、手に届く情報の表面をなめるだけでも大忙しになってしまった気もします。

F:でもネットで得る情報は、すぐ忘れちゃう情報が多いかもしれないですね。新しいのが入ってすぐどこかにいってしまうというか、そこに留まる情報があまりないかもしれない。そこは自分で見極めて取り出さないといけないかもしれないです。

●これまでDJとラップ、サンプリング、打ち込みとやってきた中で、今回のギターと歌というスタイルには何か想いはありましたか?

F:それも一つということですかね。今回の作品でも、バックトラックは打ち込みがメインだったりするし、今まで自分がやってきた音楽の集大成というか、そういうものの中に生ギターや歌も入ってきて、それでできればいいかなと思うんですけどね。

●これまで時代を象徴し、つくってきたとされる方々が亡くなることも増えてきたと感じます。マルコム・マクラーレンさんは朝日新聞でも訃報が記事になっていましたし、ヒロシさんの集大成とも言える本をつくられた川勝正幸さん、そして、百瀬博教氏とも深い関係をお持ちでした。そういうことも含め、時代の大きな動きも感じますか?

F:それに関してはしないですかね。誰にでも訪れることですし、自分の気持ちの中では難しいですが、何か音楽聴いたり、本を読んだりした時に「そういえばこれ、川勝さんが」とか、「この曲、松ちゃん(MUTE BEATの松永孝義氏)にベース弾いてもらったな」とか、思い出して寂しくなったりはしますけど、受け入れるしか仕方のないことなので。僕はあんまり、そこに深い悲しみを覚えたりというタイプじゃないですね。いなくなったことに関しては、後でジワジワとはきますけどね。

●「死」に関するスタンスも独特なような気がしました。

F:これは、深いインタビューになりますね(笑)。でも本当に誰にでも訪れることだし、心理学的なタナトスじゃないですが、ある意味死が目標だったりするのかなと。そういう気もずっとするので、僕の場合は、いつでもやってくるなら死んでもいいんですけど。

●フロイトの「細胞はすべて死に向かって走っている」という言葉に賛同されていると。

F:そう思います。すごく「生きたい」という強い意志はそんなにないです。

●まわりの方々がよく仰る、ヒロシさんは「物事の核心を掴むのが上手い」という点で、意識的にそれをやろうと努力しても難しい中で、そういった、俯瞰されているようなスタンスが上手く作用しているでしょうか。

F:自分に正直に、好きなものを好きな時に好きって言って、動くというのが一番ですね。そうやってきた気がします。同時にそれによって、人に迷惑のようなものをかけたこともあったかもしれません。それは狭いマイノリティの世界だと、その人たちはその人たちで大切にしているものに、急に僕みたいのが「それ面白いね」という風にのめり込んだら、迷惑だったりすることがあるかなというか、そういうのは若い頃によくあった気がします。でももう、そんな時代じゃないような気がしますけどね。本当に誰でも、好きな人が好きなことをやるという時代かなと思います。

●そういう意味でも時代が変わってきた?

F:変わったんじゃないですか。誰でも子どもを連れてデモに参加できるような時代じゃないですか。それも今だからこその感じはします。

●官邸前のデモのことでしょうか。

F:僕は行ったことないですが、すごく平和的なんじゃないですか。

●今回のデモの評価でよく聞くのは、組織で動員されている人々でなく、それぞれが個人の意志で集まっている、日本において初めてかもしれないかたちのデモだという点でしょうか。

F:素晴らしい分、きっと本当に本気じゃない人もいっぱいいますね。お祭り気分というのも変ですが、見学だったりとか、割と本当に運動しているECDみたいな立場な人、ランキン(タクシー)さんもハードコアな感じで、そうじゃない人もいると。さっき言ったみたいに、ぼやっとしているというか、誰でも何でも好きな時に好きなことができる代わりに、全体的なものが薄くなっている感じはします。

●情報はネット経由だと忘れやすく、本だと頭に残りやすい?

F:一概にネットと本の違いとは思えないけれど、やっぱり情報が多いから、「この雑誌のここだけ読んでいればいい」ということでもないというか。自分で探して辿り着いたものはすごい覚えているけど、パッと見て入ってくるというものは流れてしまいますよね。

●自分の世代には、藤原さんは洋服や音楽のスペシャリストという認識です。そういった、カルチャー的なものの社会における役割も変化したと思いますか?

F:思います。どこかに探しに行ったり、情報を求めて出歩くことは必要なくなりましたよね。ファッションなんかも特に、昔だったらファッション・ショーとかムーヴメントがあって、伝わるまでに時間がすごくかかったけれど、今だったらその場でなので、それは随分違うと思います。

●それは良くも悪くも?

F:いい方が大きいんだと思います。でも価値がなくなってきましたね。

●その状況に対するカウンターとして、旅の面白さがあるのでしょうか?

F:旅だったり、音楽のライブはそういう意味で面白いですよね。その場にいないと味わえない空気感みたいなことがあるから、だからフェスとかもそういう感じかもしれないし。

●ライブをミュージシャン本来の本懐だと考えると、ある意味健全になってきたような気もします。

F:そうかもしれないね。

●旅について、「アウシュビッツが面白かった」という見解を読みました。

F:アウシュビッツは良かったし(笑)、例えば美術館に行ってモナリザを見たとしても、本で見るのと目の前で見るのは全然違うので、そこの差は大きくありますね。それはたぶん動物園でも、わかったつもりになっているよりも、実際に行って見るとネットや本の何倍かは得るものがあると思うけど。

●アウシュビッツの面白さを説明する際にダミアン・ハーストを引き合いに出されていました。今も現代アートは気にかけて観に行っていますか?

F:普通に誰かに教えられて観に行くこともあるし、別にゴッホ展も観に行くし(笑)。

●少し前だとストリート・アート的なものがもてはやされたり、今だとこのあたりがざわついているなという感触はどこかにある?

F:何かはあるんだろうけど、今僕全然わからないですね。見かけていないというか、追いかけてないというか。

●音楽の場合では?

F:特に新しいものとかは生まれてないんじゃないですか。生まれていたら、いいものはすぐ大きくなったりもするし、格好良いアンダーグラウンドで止まっているものってあんまりないですよね。

●ところで藤原さんの事務所での写真には、よくマルクスの大きな肖像画が映り込んでいます。

F:それは単純にパンク、ピストルズの影響ですね。ゲバラの写真と同じように、見た目のアイコンとしてです。そんなに理解していないですし、難しいと思います(笑)。

●よりピンとくるのはシチュエーショニスト(状況主義者)ですか?

F:あれも「パンクの人たちが影響された」というので読んだり買ったりして、でもあの人たちも、アート作品としては面白いのがいくつもあるけど、読んでも面白くない。それは国境なき記者団っていう、世界のジャーナリスト集団のメンバーの人の本をたまたま読んでたら、元シチュエーショニストとのことでした。とはいえその人は、そこがちゃんと社会運動をしてると思って入ったら、やってなかったので辞めたって書いてありました。

●ヒロシさんは昔から、社会にコミットして何かをやろうという意識はあったんですか?

F:僕はどちらかというと、知ってたいけど、俯瞰で見ていたいタイプというか。

●そのスタンスが、期せずして、それを積極的にやろうとしている人よりも大きな影響力を持った理由は何でしょう?

F:もしかしたら、現実が見やすいかもしれないですね。中にいるよりも俯瞰で見ている方が。

●そういう立場を保つことができるようになったのは、生まれ持ってのことという感覚でしょうか?

F:まわりの人の影響もいっぱいあると思います。何かには常に、ちょっとずつ、ずっと影響はされているんじゃないですか。この人にすごく影響を受けたというのはないかもしれませんが。

●今、ここから影響を受けているということはありますか?

F:例えばさっき、ライブのリハーサルをしていて、二回りくらい若い人たちとかとやる中で、それは影響を受けるでもないですが、面白いですね。

●「この若いミュージシャンとやろう」という理由もあるんですよね?

F:やってみたらどうですか?と言われて、では是非、ということで。例えば、彼らがレア・グルーブみたいな音楽が好きだとしても、その捉え方が違うというか。僕らがそれを好きになった感覚とはまた違う感覚で好きになっていて、同じものを好きなんだけど、違う方向からきてる感じとかは面白いです。

●高城剛さんによる、ヒロシさんは「あらゆるジャンルの権威に抵抗してきた」という評価もあります。実際にはいかがですか?

F:僕は正直に本当に、好きなものは好きだし、嫌いなものは嫌いだし、嫌なものは嫌という風にしていただけで。

●御自身の「ケモノ道を歩いてきた」という言葉もあったと。

F:そんなつもりもなかったですが(笑)、好きなことを好きな時にやるだけなんで、人によっては流される人もいるし、仕事上、上司に「これをやれ」と言われればやらなきゃいけない人たちもいる。でも、僕は「これをやりなさい」と言われても、自分が好きじゃなかったらやってこなかったということですね。

●多くの人は、嫌なことでもどうしてもやらないといけない立場にあります。

F:そういう立場にならないように生きてきたんですね(笑)。

●そう生きるコツはありますか?

F:ないですよ。たぶん、本当に正直に生きるだけです。それは危険で、嫌われたり、仕事がなくなったりする可能性もあるけど、でも正直に。それは僕でもずっと半分不安で、その繰り返しというか、そういう感じだったけど。いいんじゃないですか、不安で。

●不安がいい?

F:不安の方が、クリエイティブなことができる感じはしますね。それは僕の場合はですが。でも僕は、自分の持っているキャパシティ内ですべて完結させたいので、自分で「僕では無理だ」ということはお断りしたり、そういうことですかね。やりたくても「これは無理だな」ということもありますし。

●そうやって、自分のキャパを把握することは難しいことな気がします。

F:それがたぶん一番なんじゃないですか。僕はそれが得意だったんだと思います。誰かに教わったわけでもなく、俯瞰で物事を見て、その俯瞰の中に自分もいるという見方で。でも、それを間違えて成功する人もいっぱいいると思いますし、たぶん大きく成功する人は、そんなキャパシティなんか決めないでどんどんやるんじゃないですか。

●振り返ってみて、やはりイギリス、ロンドンというのは大きかった?

F:大きかったですね。

●だからと言って、今のロンドンではない。

F:ロンドンが大きいというよりも、その時に出会った人たちですかね。中でも、人と人との壁のない感じというか、それは大きかった。それはロンドンだけじゃなく日本でもそうでしたけどね。70年代とかは割と、マイノリティの人たちがみんな仲良くなれるというか、そういう感じでした。パンクもゲイも仲良くって、例えばレゲエをすごく好きな人も、その当時ほとんどいなかったとしたら、その人たち同士で仲良くなれるというか。

●それを繋ぐツールとしての音楽や洋服だったと思いますが、そういう機能は復活するでしょうか?

F:なかなかしづらいんじゃないですか。それは、マイノリティというものが存在しづらいから。

●御自分に冠された「時代をエディットする男」という感覚はあった?

F:自分ではあまりないですけど、でも自分でものをつくるよりは集める、見つけてくるという方が得意でしたね。

● 一時お好きだったというラテン・ラスカルズも、音楽的にエディットしていたわけですが、そこに共通点は?

F:ラテン・ラスカルズも影響されたものの一つだけど、たまたま言葉が「編集」だっただけで、そこはまるっきり違うと思います(笑)。川勝さんが言う「編集」というのは、ここでこういうファッションが流行ってて、ここでヒップホップが流行ってて、ということがあって、そこで例えばNYでヒップホップが流行っているからといって、そのまま持ってきてやるだけじゃなくて、ロンドンで流行っているパンクやファッションも一緒に混ぜるというか、そういうところだったと思います。スケートボードがすごい好きで、その頃はスケボーと言えばスラッシュメタルみたいなものしかなかったけれど、聴くものはヒップホップで、洋服もヒップホップっぽいものを着てたりとか、パンクのTシャツを着てたり、そういう意味での編集だと思います。

●それこそ「裏原」と言われていたものがなんとなく沈静化して、でもそれもファッションや社会の常として、大きなサイクルの中で、ヒロシさんのされてきた物事の提案の仕方等々は戻ってくるでしょうか?

F:もう絶対ないと思います。それは情報の変化によって、もしも世界中でインターネットが禁止になったら、またあるかもしれないですが、でももう情報の後戻りはないでしょう。

●しかし情報が解放されたからこそ、供給過多のそれを、それこそ編集する力が必要になる気もします。

F:そういうことはあると思います。でも基本的に僕は変わらず、若い人から見たら確実に、もうはっきり言って老後なんで、自分が好きなことや楽しんでいることをやっているだけで、欲もそんなにありません。

●それは昔から?

F:昔はあったんじゃないですか。だからどこにでも出歩いていたと思うんですが、そういうのはずいぶんなくなったと思います。残念だけどね。

●それはお肉を食べないこととも関係しているでしょうか?

F:いや、関係ないでしょう(笑)。

●藤原さんの柔らかでおおらかな物腰、人柄は、ご出身である三重の土地柄や、その「老後に入ってきている」という発言あたりと繋がりますか?

F:まったくないですね。僕は三重出身だとか、日本出身だっていうことは、基本的には考えてないです。「日本に住んでてよかった」とかはありますよ。でも「日本人藤原ヒロシ」、「三重県人藤原ヒロシ」ということは多分一生ないです。そういう意味では僕、左翼ですね。そこはすごくインターナショナルでいたいです。

●伊勢神宮には行きますか?

F:友達が来て行くぐらいで、でも他のところの神社とかに行くと「こんなに小さいんだ」って、いつもびっくりしてました。神社っていったら伊勢神宮だったんで、子どもの時、誰か親戚とかが来て行くってなると「あんな歩かなきゃいけないんだ」って嫌でした。伊勢神宮の敷地内って世田谷区と同じ大きさらしいですよ。

●世界を旅するほどに日本の良さを再発見、みたいなこともあると思います。

F:それは全然あると思います。日本の一番の良さはホスピタリティというか、みんなの親切な感じがいいですね。それはすごい感じます。

●しばらくは音楽中心の活動となりますか?

F:音楽と洋服と、特に大きいものもなく、いつもと同じです。新しいところでは大学教授じゃないですか。10年くらい前にちょっと通ったことはあるんですけど、大学に自分が行っていないので、そういう意味では近田さんの授業も受けてみたい。近田さんって話が面白いじゃないですか。

●その近田さんは、音楽キャリアの中でヒロシさんから受けたダメ出しがとても貴重な体験だったと仰られています。

F:若かったんで、謝らないと(笑)。

●今日はなんとか、ヒロシさんの内面を引き出し、今の社会で新たに展開できる、参考になるようなものを探ってみたのですが…

F:僕は参考にはならないですよ(笑)、変わってるんで。僕は自分では変わってると思わないけど、人からは「変わってる」と言われることが一番多いので。

●それこそシチュエーショニストや、特定の宗教もないでしょうし、何か信じているものはありますか?

F:信じているものは、基本的にはみんなのことを信じています。すごい性善説派なんで、悪い人はいないと思っています。だから「信じる」という意味では、人を信じるんじゃないですか。

●世界においてはパレスチナや、日本では原発事故があり、その経緯や周辺を知れば知るほど、どうやら世の中には稀に悪人と呼べる人もいるような気もします。

F:僕はそれ、全然信じないです。パレスチナで起こっていることも酷いとは思わないし、彼らには彼らの考えと他には他の考えもあって、「仲良くなれればいいな」と思うけど、やっぱり何かはあるんじゃないですか。陰謀で「あいつらの金を奪ってやろう」ということでやっているんじゃないとは思います。僕は知らないですが、知らないからこそ、その人たちが言うことを疑うよりも信じたいというか。みんな「政治を信じるな」と言うけど、僕個人よりは政治家の方が学もあるし、詳しいだろうから、とりあえずその人たちを信じようかなと思います。

●特に最近は不信や怒りが充満しているかもしれません。もしかすると本当にみんなで「信じてみよう」となったら、実は結構すんなりいくのかもしれませんね。

F:そうかもしれないです(笑)。今日はもっと、レゲエの話じゃなかったんですね。そういえばボブ・マーリーの映画がすごく良かったです。あの人のことを全然知らなかったってことに気付きました。ボブ・マーリーは音楽を聴いてたけど、あんまりあの人のことを知らなかったので、あの映画を観てすごいわかったというか。監督も結構よくて、僕は好きでした。