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井出靖『Late Night Blues』

 
   

Interview by 石井志津男(Shizuo Ishii) Photo by高木康行

2012年6月にRiddimOnlineに掲載された記事です。

 80年代初期にTRAというカセットテープ付きのアート&ミュージック・マガジンがあった。式田純がプロデューサーでカメラマンの伊島薫とデザイナーのミック板谷の3人が出版していたのだが、ここに社員募集で飛び込んだのが井出靖で、そのTRAでの経験も彼の後の仕事に生かされているのだろう。TRAの事務所は霞町(現在の西麻布)だったし、OVERHEATの事務所もその近辺だったせいもあり、近からず遠からずの関係で、数年後に「できたよ」と持って来てくれたのが『アンファン』というアルバムだった。

井出:それはですねTRAの後ですね。TRAでいとうせいこうと出会って、いとうくんとエンパイアスネークという会社を作るんですよ。で、そこに(藤原)ヒロシもいて、その時に『アンファン』を作ってますね。だから自分で会社を作ってからですね。27歳くらいかな?

石井:『アンファン』を作ったのは、どういう思いなんですか?

井出:今やってることと変わらないかもしれないんですけど、コンピレーションとかがまだ日本であんまりなくて、そういうものを、いちプロデューサーが考えるっていうこともなかったんですよ。自分で作りたいものが、まだインディーズにはできなかったころなので、21世紀に捧げるスタンダード集を作りたいといことで、パーソナルに思う名曲を次世代に残せたらというコンセプトで企画書をポリドールに提案しに行って、全部で3枚出したんです。あれを作ったおかげで今でも、例えば吾妻さんとか、ずっと仲良くさせてもらってる。その時のつながりが結構多いですね。

石井:その後の井出さんはオリジナル・ラブのプロデューサー、小沢健二のプロデューサーをやって彼らを大成功させるわけだけど、初のソロアルバムも東芝EMIから出しましたよね。

井出:いや、その前に自分がエンパイア・スネークから独立して、KING COBRAっていう会社を作って…

石井:それは何年?

井出:覚えてないけど、28歳くらいですね。オリジナルラブとスカフレイムスの管理もしていて。それで、オリジナルラブがレコード会社4社の争奪みたいになってたんです。当時、クワトロを四日間埋めるくらいまでいっててメジャー契約をしてなかったのが東芝EMIと契約することになって、その後、オリジナルラブをやめて、小沢健二をやるわけです。僕が高校3年の時に見たのが日比谷野音のチャーの復活フリー・コンサート。ジョニー吉長さんとチャーとルイズルイス加部さんを観ていて、そのアイデアで小沢健二のフリー・コンサートを野音でやったんです。

石井:へー、そうなんだ。

井出:今日(6月4日)、ジョニー吉長さんが亡くなったので。

石井:えッ、そうなの?

井出:そう、それであのイベントがなかったら、あんな野音のアイデアはなかった。で、今、思いだしたんですけど。そのころ僕のソロアルバムの話があって、最初のアルバムが95年に出たのかな? 石井さんに頼んでジャマイカでケン・ブースの「Ain’t No Sunshine」を録ってもらった曲が。

石井:ん?

井出:『ロンサム・エコー』のやつ。

石井:ああ、そっか。それが95年?

井出:そう、95年。いまでも覚えてるんですけど、石井さんから送ってきてもらった音を初めて聴いた時に、ちょうどボニー・ピンク(デヴューアルバム)のプロデュースをしてる時だったから、それを聴きながら、「ああ、音が来た!」って思ったのをすごくよく覚えています。

石井:そういうこともあったか(笑)

井出:ありました、ありました(笑)

石井:初ソロ『ロンサム・エコー』は、すごく評判になったし売れたね。プロデュースとソロワークの違いってどういうとこにあるんですか?

井出:プロデュースはやっぱりアーティストという、主人公がいてシングルとかアルバム1枚を頼まれて、少なくとも前より売れたりとか、話題になったりとかしないといけない仕事です。バジェットの管理とか、アーティストを次のステージにとか、できたら数字もあげたいという考え。
でもソロは全然違って、例えばテンポの合わない曲でも無理矢理合わせてとか、もう無茶苦茶な自分が出てて来るんですよ(笑)。自分の中でどんどんハマっていくというか、自分の中から何が出てくるかを待って、それが作品を作ること、何を表現したいかになってくる。プロデュースとは真逆みたいな感じがします。まとまろうとして作ってない。自分との向き合い方というか、特に今回はセールスよりも、もう一回作れたというか、僕がもう一回音楽に向かい合えたということがすごく大切だったりしました。

石井:でも、「今また音楽に向かい合えた」って言ってもGRAND GALLERYレーベルをずっとやってるのに、それとはどう違うの?

井出:あれはだから、A&Rとかプロデュースとか、どっちかというとA&Rな感じですね。

石井:GRAND GALLERYってお店もやってるじゃない、それは?

井出:最初は音楽だけだったんですよ。僕らが選曲したものをiTunesでBGMとして曲を抜いてってくれてもいいし、僕らが作ったアーティスト作品にすごくハマってくれる人でもいいということでやっていたんですけど、渋谷の宇田川町に引越したら、最初は4階と5階の物件があって、じゃあ4階にCD屋さんと5階にスタジオを作ろうと。そしたらどんどんそのビルの物件が空いていったんです。おもしろいビルだったので、当時、空いたら借りるっていうことで、コンセプトは後からです。今回のソロ『Late Night Blues』はターターンというレーベルですけど、このTARTOWNっていうのはGRAND GALLERYのなかでもちょっとアブストラクトな音だったり、ダブとかヒップホップとか、バスキアのBeat Bopの…、あれを出したレーベルなんです。あとサーフ・カルチャーとか、柔らかいレゲエとかハワイアンみたいな、そういうのはmonacoっていうレーベルで2階にそういうお店を作って、2階にはmonacoっていう、Mollusk(SFとLAにあるサーフ・ショップ)とかに置いてあるような、柔らかいテイストで、そこに合う音楽はなんだろうっていう考えで。

石井:ああ、なるほど、フロアごとに?その時に初めて洋服とか小物とかが増えて行ったと?でもその前からFANTASTICAってヴィンテージなお店もやってたよね?

井出:継続してお店はずっとやってたんですけど、だんだんCDだけじゃなくて、音楽と結び付く洋服とかって気持ちになっていったんですよね、自然と。基本的には同じなんですよ。当時買ってたヴィンテージの服が今はこういうふうに新しい服になってきてるんです。TARTOWNだとそこにアートなポスターだとか、ヴィンテージTシャツだとか、そういうのが結び付きやすいと思って階ごとに分けて入っていったので、それでそういう提案をしていったんですよね。

石井:それは井出ちゃんの中に、これも好き、あれも好きっていうテイストがあるわけですよね?

井出:ホントにその通りです。別にダンスだけで生きてる訳じゃないので、例えば大きいレコード会社だったら、色んなレーベルがあって、色んなものを出してる訳じゃないですか、それと同じ感覚でそれにファッションとかを結び付けてる感じ。

石井:なるほどなるほど。で、個人的にひとつ聴きたいことがあるんだけど…。マス・プロダクトしたCDとかは俺も平気で売れるんだけど、自分が買ったり拾ったりした、ある意味他人からみたらしょうもないポスターとかでさえも中々売れなくて、誰かに上げることはできても。単なる病気というか(笑)。井出さんのお店に行ってね、「あー、ヤバいポスターだな」ってなるんだけど、もし俺が持ってたら独占欲で売れないかも? 井出ちゃんはどこの誰だか分からない第三者に売れるっていう感覚の、その説明を聴きたいんだけど(笑)

井出:それはね、一番最初にFANTASTICAをやってどんどんレコードとかレアなものを売るようになって世界中に買い付けに行ったわけじゃないですか、そうすると、レアなものに出会えるわけです。HARD TO FINDのものに。

石井:そうだよね。

井出:そうした時に自分の考え方が、一番レアなものをお客さんに売りたくなってきて、その瞬間に物を集めると言うのがなくなったというか、もともと収集癖はないんですけど、だから全部売ってるんです。DJもDJをしてるときのレコードしかないんですよ、それ以外は引っ越すたび全部売ってる。だから家にはものがあんまりないです。常にベストなものを提供したいというのが僕の考え方で、二枚手に入ったら一枚は自分でみたいなこともアリだとは思うんですけど、その時に決めたというか、集めないんですよね。確かにお店をやる前は、レゲエだったら、スタジオワンが全部そろってるとか、そういうのがありましたけど(笑)。

石井:(笑)そういう時あったよね。オレに電話をかけてきて「全国のレコード屋に電話して買ったんですよ!」ってね。

井出:めずらしいリー・ペリーのとか(笑)、それは今でも、とにかく一番なものをお客様に提供して喜んでもらえるっていうのが、好きみたいなんですよ。

石井:なるほどね。それは井出さんなりのエンタテインメントを提供するみたいな感覚があるのかな?

井出:それありますね。買ってよかったって言ってもらったり、喜んでもらえる嬉しさですよね。これはネットでは味わえない仕事ではあるのかもしれないですね。

石井:なんだかそれを聞けてよかったなァ(笑)。俺はどっちかって言うと捨てられない病で、僕の残されてる人生の時間で、絶対に自分の持ってるレコード、CDや本を全部楽しむ時間は無い、聞かないってわかっているにも関わらず、棚においてあるっていう理不尽さが、もっかの悩みなんだけど(笑)。

井出:この間もブルース・ウェーバーのコレクターからも幻と言わてれたレッツ・ゲット・ロストのポスターなんですけど、それをお店に出したら、お店を開けて20分で売れました。やっぱり、分かってる人が見たことがないからって。洋服とかも、別に弟とかにすぐあげちゃうし、全然保有しないです。

石井:なるほどなるほど。そういう価値のあるものを逆に売りたい衝動も分かる、世の中的に価値があるものを売る感覚は分かるけど、絶対にオレだけとか、何人かしか価値が分かんないだろうというモノってあるじゃない?井出さんはそれも売れる?

井出:それも売れますね。うちは食器とかも売ってるんですけど、本当は家の食器もかわいくしてあげた方がいいんですよ、うちの奥さんの為に。でもずっと使ってるマグカップとか、壊れてないからこれでいいんじゃないのかなってなっちゃうんですよ(笑)。別にそれは所有したいってわけでもなく、壊れてない物を買う必要はないっていう感じなんですよね。でもレコードとかそういうのは、どんどん変わっていけばいいと思ってるんですね。

石井:とは言っても、ものすごくこだわってるモノが今回のアルバム『Late Night Blues』の中にもある。このアーティストにはこの音、この楽器、この人のコレっていうのが、スゴくわかる。だから、形あるモノは捨てても、感覚というモノは、ものすごくキープしてるってことだよね。ヴィンテージの服にも通じる音とか、景色の見えそうな雰囲気はものすごく大切にしてるんだね。

井出:そう言われたらそうですね。新しいのも好きなんですけど、ソロ名義で作ったらこうなったという感じで、それがもしかしたら全編テクノだったかもしれないですけど、ジャケットとタイトルと1曲めと10曲目ができるのが早かったので、だからこうなったみたいです。

石井:久々にソロを作るきっかけっていうのは?

井出:いや、ちょっとずつは、ずっとやってたんですけど、レーベルをやってるといつでも出せるから、逆に他人のことばかりやってるから途中からはあんまり作れてなかったというか、でもやっぱり3.11以降ですね。

石井:事務所を移転したのも3.11で?

井出:5階にあったスタジオからスタッフが降りれなくなっちゃたんです。非常階段がないことが、本当に大変なんだって分かったんですよね。地震が起こったら出れないってことが確実にあるってことは、もうそこにはいられない。それで最初にBEACHギャラリーの場所が見つかって、次にスタジオの場所、歩いて行ける範囲ですぐこのお店が見つかって。

石井:311以降で音に影響はありましたか?

井出:311が無かったらソロは作ってなかったと思います。現状を知っても毎日一人で生きて突き進んで行くという願いも込めてます。今まではタイトルとかも聞いてくれた人にイメージを制限しないようにしてましたけど、曲名「シャドウ・オブ・ファイアー」とかは、そういうこと(311)を考えて決めてます。 

石井:ではソロ・アルバムのこだわりを教えてくれる?

井出:ループが好きなんで、いつもリズムのかけらというかループをまず作るじゃないですか。でもかけらは曲にならない。それを自分でiPhoneで聞きながら寝たりしてると、だんだんかけらが浮かんできて、そうするとメロディアスじゃないものが創りたくなってきたんです。いつもアルバムだとボーカルとかを必ず入れてて、今回作ってる曲がボーカルとか詩と朗読とか入りやすそうな感じだったんですね。だから逆にボーカルを入れるのをやめようと、自分に禁じ手を出して。そうするとだんだんメロディアスじゃなくて、インストゥルメンタルで全編にギターがガンガン鳴ってて、ちょっとサックスとかも入っててっていうそういうイメージが浮かんできて、それに合う人に頼んで演奏してもらうっていう感じで作っていった。そのころには、ジャケットの写真の許諾もおりて、この写真、有名なAlec Sothの写真集「Dog Days, Bogata」の表紙なんですけど、今だと、この捨てられた感じの野良犬が、街がいいのかどっち側が幸せか分からないというか。日本もどこにいるのが幸せなのか今分からなくなってて「今後どうして行けばいいんだろう」っていう、自分の立ち位置みたいなものとすごく合ってたんですよね。売れようとか、誰の為に作ってるっていうのもなく、ブルースを作ってるような、正直に自分を出していくインストゥルメンタル。38歳(の『PURPLE NOON』)から52歳でもう一回音楽が作れるんだっていうところを踏まえての、ブルース感です。

「インタヴュー番外編」

知り合いになってもう30年、井出さんのことをいつからかオレは“井出ちゃん“と呼んでいるが、今回の原稿では”さん“にしてみた。初アルバム『ロンサム・エコー』の頃は、オレが年に3度もジャマイカに行っていたので、何曲かジャマイカ・レコーディングをお手伝いした。トラックを預かって行ってリクエストされたアーティストのヴォイスを録っていたのだが、アメリカまで仕入れに来るというので時間を調整してキングストンまで来てもらったことがあった。以下は今回のインタヴュー番外編。

石井:ジャマイカまで来てもらった時があったね。ケン・ブースやとU・ROYだっけ? 二人はすでにレコーディングしていて、また頼まれちゃったんだよね?頼まれちゃったっていうのも変だけど。正直言うと責任もあるし、「えーっ!また」と思ってちょっと嫌だったんだけど、でもまあいいよって。それより一回ジャマイカに来てよってずっと言ってたんだよね。そうしたらアメリカまでは行くことがあるっていうんで、それに合わせて俺がキングストンの空港までレンタカーで迎えに行ったんだっけ?

井出:そうそう、だって夜の10時半にジャマイカの空港に初めて行った人、中々いないんじゃないですか?

石井:そう? 10時半?夜だっけ??

井出:そうですよ、夜の10時半ですよ。

石井:あっちに行っちゃうと時間とか関係なくなってたからオレ(笑)。 あの頃は朝でも夜でもスタジオ2カ所とかブッキングしてレコーディングしてミックスしてた時代だから。

井出:そうですよね。俺たちは俺たちで朝はテキサスにいたんですよ、安いチケットだったんで、今でも覚えてますけど夜10時半に行くにはオースティン→ダラス→マイアミ→キングストンって行かなきゃいけなくて(笑)。ずっと飛行機に乗ってるんですよ。で、レコーディングしに行って、あの時録ったものがあるじゃないですか?それが今でもこうやって今回のCDに使われてたりして。

石井:それ嬉しいね。それってドラムのスタイル・スコットだ!

井出:パーカッションをスティッキーとかボンゴ・ハーマンに頼んだりして、みんなを集めたじゃないですかUブラウンとかスティッキーとか。そういう録りっ放しの使ってないものがあって、それを今回ちゃんとうまくテンポに合わせて変な風に使ったりとかして。やっぱりジャマイカのものって、自分の中でちゃんとどこかに入ってたりとかするから。あと全然違うんですけど、今回は入ってないんですけど、上原ユカリさん、いるじゃないですか、ユカリさんのドラムとかも全部あるんですよ。でも今回はハマらなかったんですが、そういうストックはすごく多いんですよね。

石井:そうなんだ。それであの時は空港に迎えに行って、ドライブして街に着く途中で、急に気がついてカールトン(&ザ・シューズ)の家に立ち寄って、あれ曲名なんだっけ?

井出:「Give me little more」ですね。

石井:そうそう、その曲を井出さんがクレモンティーヌでカバーしてたのを知ってたから「通り道だからカールトンの家に寄ってく?」って家の前で夜中にビビビビーってクラクションを鳴らしたら出てきたんだよね(笑)

井出:そう、パンツ一丁で。それで歌ってくれたんですよね(笑)

石井:この人が日本で「Give me little more」のカバーをプロデュースしたんだよって紹介したら「OH!」とか言ってさ。

井出:そうそう、知ってましたよね。

石井:でもまさか裸の人が現れるとは思ってないもんね。井出さんもびっくりしてたよね。

井出:まさかパンツ一丁でね~。

石井:冗談だろうみたいなね。それも裸足で外に出てくるとは思わないから。

井出:でも本当に一番最初に石井さんに連れてってもらったから、それがやっぱりすごく良かったし、だって普通にグラディがスタジオにいるんですもんね。もう、すごいことですよね!本当に。

石井:オーガスタス・パブロもレコーディングの約束してたけどだスタジオに来なかったんだよね?

井出:そうなんですよ。パブロを録りに行ったんですけどね。

石井:「イギリスでプライマル・スクリームとやったからギャラも高くしてよ」なんて言ってたから、それはこっちもOKしてたし、オレも80年代から彼のアルバムを数枚日本発売したり、キングストンでは何度も会ってたし東京のOVERHEATまで来たりしてた間柄で、安心してメインストリート・スタジオを押さえて待ってたのに、来なかったんだよね。

井出:そうそう

石井:でも来なかった理由が後(1999年)でわかったんだけど、、、。

井出:みたいですよね。

石井:たしか3〜4年くらい経ったあとだったかな、ちょうどアンカー・スタジオで仕事してたらばったり会ったんだ。オレも井出さんにバツが悪かったのを思い出して「あの時来なかったから俺はちょっとがっかりしたんだよ」って言ったんだ。そしたら、「いや、本当に具合が悪かったんだ」って言われて、本当にその時は痛そうに片足を引きずってゴホゴホ咳もしていてもうすっかり痩せこけていて苦しそうだった。そんなに弱っているのに、やつのプライドがすごいなって思ったのは、他のジャマイカ人の前では足を引きずったりしないんだ、俺には見せてるんだけど。スタジオの見えてる所では痛いのを我慢して普通に歩くんだ。コーナーを曲がって見えなくなったら、足を引きずってね。そんなプライドがあるやつが、俺と約束したくせに来なかったっていうのは、ああ、本当に調子が悪かったんだなって分かって、そしたらその半年後くらいに死んじゃったんだよね。だからまあ、俺もちょっと言い過ぎたかなとは思ってるよ。

井出:でも石井さんがすごいのは、録れなかったからと言ってあきらめるんじゃなくてすぐに次のアーティストを見つけたり(笑)。一番おもしろかったのがスタイル・スコットで、お互いに車で走っていて遠くからスタイルが「ヘイ!イシイ!!」って呼ぶんですよ。それで今からドラム叩こうっていうんですよ。今からって言われても本当にそのまま叩きにいくから、まだアイデアを考えてなくて。

石井:「あれはスタイル・スコットだよ」って言ったら車運転してるのに隣で「じゃあブレイクビーツ録れますか?」って井出さんも速攻言うから(笑)。「ええ?また仕事?」とか思うんだけど、まあいいかって。「スタイル、ブレイクビーツ録るよ」って言ったら、「分かった」って、やつの家までドラムを取りに行ったんだよね。でも良く考えたらあの頃はスタジオも忙しくて埋まってる時代で、スタジオ押さえてないからさ〜てどうするかと、じゃあとりあえずこの間スティーリー&クリーヴィのStudio 2000でドラムがギリギリ叩けるようになってたなと気がついて、それでクリービィに電話したら、「いいよ貸してあげる」っていうから、それで録れたんだよね。

井出:そうです、そうです。

石井:あれも偶然の偶然の偶然みたいな感じで、いくらジャマイカでも突然だと、スタジオが空いてない時代でさ。あれって車で通りすがりだもんね。でもその時のが今回のアルバム『Late Night Blues』で使われてるっていうのがちょっと嬉しいな(笑)。パーカッションのボンゴ・ハーマンとかもさ。

井出:そうです。それがちゃんと入ってるっていうのが、やっぱりいいなーって思う。今回はやっぱり不思議なんですけどさっきのモノの話と同じなんですかね?作っちゃうと人の手に行くものだからもうあんまり執着がないんですよ。自分から離れちゃったものだから。割とずいぶん前に作り終えて、もう、すっと消えて行っちゃう感じですね(笑)

きっと14年ぶりのソロアルバムを入魂して作り終えた充足感がそうさせるのだろう。オレのとっ散らかる質問を相変わらずの早口で対応してくれた井出靖。『Late Night Blues』、チェックです。