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Unmissable Story extra pieces from Ruffn' Tuff vol.2
Lloyd Parks

 
Interview by Tadahiro Konoe / Translated by Mizuho Takahashi / Photo by Masataka Ishida
 

映画『Ruffn' Tuff』が話題だが、この映画のために取材した数十時間のテープは、インタビュー集として書籍化されている。しかし、その書籍からもページ数の制限でもれてしまった人たちや発言を採録して本誌で連載する。第二弾は60年代にザ・ターマイツとして活動し、現在はウィ・ザ・ピープル・バンドのリーダーとして活動しているロイド・パークスの登場だ。
 
【Sixties】
 名前はロイド・パークス。1949年5月26日生まれだ。1967年にシンギング・デュオのターマイツとしてスタジオ・ワンからデビューしたのがキャリアの始まりだ。18歳の時だよ。コクソン・ドッドにどう出会ったかって? スタジオ・ワンに行ってオーディションを受けた。このアルバム『Do The Rock-steady』は俺の誇りだ。俺の人生で特別な一枚だよ。
 
 コクソンには心から感謝している。オーディションで俺達二人は完璧なハーモニーを聞かせたが、コクソンは「君らの声はとってもいい。でも、まず、裏庭に行ってラジオを聴け」と言ってきた。俺たちは庭でラジオを聴いてみたよ。コクソンが言いたかったのはリリックの内容を考えろという事だったんだ。商品化できる歌詞を書けという事さ。後日、俺達がスタジオ・ワンを再び訪れると、スタジオにはキーボードのジャッキー・ミットゥやトミー・マクックを始めとするミュージシャンが待っていた。「Have Mercy, Mr. Percy」という曲を歌って聞かせたよ。コクソンはあまり気に入っているようには見えなかったが、「今すぐ録音だ」って。で、その曲がベスト10に入るヒットになってしまった。気を良くしたコクソンは俺達でアルバムを一枚作る事にして、『Do The Rocksteady』ができた訳さ。このアルバムの中で好きな曲は「My Last Love」「Do The Rocksteady」。勿論、大切なヒット曲だから「Have Mercy Mr. Parcy」も好きだよ。
 
「Do The Rock Steady」
The Termites

[Studio One / SOL 9003]


【Seventies】
 その後は、まず、RHT Invincibleというバンドにギタリストとして加わった。ツアーを回って、キングストンに戻ってきてからは、俺は主にレッドヒルズ・ロード界隈で活動するようになった。当時のレッドヒルズ・ロードは音楽が盛んで、ナイトクラブなんかが沢山あってね。俺はTolerableというバンドに入って、「Stables」というクラブのハコバンドになった。Tolerableには2年程いて、72年に同じストリートにあったTick For Tackというクラブの専属バンド、Skin, Bones And Fleshに入った。メンバーはドラムがスライ・ダンバー、アンセル・コリンズがキーボード、ランチーン・マクリーンがギター、俺がベースでヴォーカルがアール・ブラウン。彼はアル・グリーンの「Here I Am Baby」をカヴァーしたんだが、大ヒットになってね。お陰で初めて俺はジャマイカの外に出た。UKツアーだよ。デニス・ブラウン、トゥーツ&メイタルズ、シンシア・リチャーズなんかが一緒だったな。ところが、まもなくしてSkin, Bones And Fleshは分解してしまった。
 
 俺はそろそろ自分のバンドを持つべきだなと思って、75年にWe The People Bandを結成した。その頃までにシンガーとしての俺には「Officially」というヒットがあった。この曲はジャマイカで6週に渡って一位を獲得して、俺は名前が売れていたよ。このWe The People Bandは新しいバンドだったから、ブックされるとお客さんから「どこのバンドだ?」とよく訊かれたらしい。店が「"Officially" のロイド・パークスのさ」と答えているうちに、バンド名がLloyd Parks & We The Peopleになってしまった。でも、最初は名前はWe The People Bandだけだったんだよ。We The People Bandは75年から今もずっと続いている。バンドが長く続いているのは、どんなセッションでもメンバーが自分の能力をフルに使うから。練習もよくするし、アーティストとのリハーサルもきっちりやる。バッキングをする場合は、レコードと同じかそれ以上にいいクオリティを提供したいと思っている。それがこのバンドが重用される理由だろうな。
 
 俺は70年代はバンドとフェデラル・レコーディング・スタジオのスタジオ・ミュージシャンとして過ごした。ケン・ブースがUKチャートでNo.1になった曲(「Everything I Own」)でもベースを弾いているし、「Duppy Gun Man」とか「Rum Good Live」とか、リー・ペリーのプロダクションでも結構な数を弾いてるよ。そのお陰で70年代から現在に至るまで、ジャマイカの著名ベーシストの一人に挙げられている訳だけどね。
 
【Last Music】
 レゲエはクロスオーヴァーを繰り返して多様化してきた。でも、俺はジャマイカの音楽がルーツ・ロックやワン・ドロップに戻ってきている感じがする。見ててごらんよ、本当に戻ってくるから。
 
 若い連中は俺達の事を「オールディーズ」と分類しているが、トレジャー・アイルにランディーズにスタジオ・ワン、こういった音楽は絶対に飽きられない。一生聴いていられる。いつでも耳に届く。ボブ・マーリーの音楽だってそうだろう? いつ聞いても構わない。この音楽が持っているヴァイブスやフィーリングがそうさせるんだ。
 
 音楽は廃れたり流行ったりの繰り返しだ。ダンスホールも悪くないさ。よく聴けばアフリカの要素が入っているし、ソカの匂いがする曲もある。カリブの音楽だなって気がするし。要は聞いた人がどう感じるかだよ。俺はダンスホールが人を惹きつけるのは必ずしもリリックではないと思うね。結局はダンスホールのサウンドが持っているヴァイブスなんだよ。こうやってダンスホールのリズムに乗っていると、凄く生き生きするだろう? 俺個人は、ダンスホールというレゲエから派生した音楽が存在する事は嬉しく思う。でも、俺はダンスホールをレゲエとは呼ばない。今だってダンスホールとレゲエは区別してしゃべっている。ヴァイブスはレゲエと一緒だが、アフリカ系とか、カリプソ系とか、ラップ系とか様々なコンビネーションの形態を持っているのがダンスホールだね。もっと多彩な音作りと、もっと洗練されたリリックになってくれればなお嬉しい。そうだ、ダンスホールと言えば、ダンスも忘れちゃいけないよ。ダンスはあの音楽で重要な役割を果たしているからね。ヴィデオとか視覚的な影響力もある。よく頑張ってるよ。でも、あなたはあなたの音楽をどうぞ、俺は俺の音楽をやるからってとこだ。
 
 なぜジャマイカの音楽が世界中で聞かれているか? そうだな。レゲエのビートはドラムとベースが肝心だが、そのドラムとベースは国際共通語みたいなものなんだよ。レゲエはどの音楽も取り込める。ジャズもディスコもレゲエになる。でも、レゲエをジャズに変えることはできないだろう? レゲエのドラムとベースが国際共通語だと言ったのはそういう意味だよ。それと、レゲエは「ラスト・ミュージック」だとよく言われる。あらゆる人の耳に届くけれど絶対にNo.1になれない音楽だし、もしかすると、人類が創り出した最後の音楽なのかもしれない。
 
 
■CD
「Ruffn' Tuff 〜 Founders of The Immortal Riddim」
O.S.T.

[Overheat / OVE-0100]
¥2,625(tax in)カリプソ、スカ、レゲエなど全16曲のベスト・セレクション。


■BOOK
「Ruffn' Tuff:ジャマイカン・ミュージックの創造者たち」
監修:石井“EC”志津男
A5判/192ページ

リットーミュージック¥1,890(tax in)

出演者の中から13名のインタヴュー+石井、石田、落合のエッセイ集。

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