HOME > 286 > CLIVE HUNT : Unmissable Story extra pieces from Ruffn' Tuff vol.3

topics

Unmissable Story extra pieces from Ruffn' Tuff vol.3
 
Interview by Tadahiro Konoe / Translated by Mizuho Takahashi / Photo by Masataka Ishida
 

映画『Ruffn' Tuff』が話題だが、この映画のために取材した数十時間のテープは、インタビュー集として書籍化されている。しかし、その書籍からもページ数の制限でもれてしまった人たちや発言を採録して本誌で連載する。第3弾はジョー・ギブスでのデニス・ブラウンやアビシニアンズの作品の他、ローリング・ストーンズとも交流のある国際派の音楽家、クライヴ・ハントの登場だ。
 
レコーディング・ビジネスやレゲエの世界に入るずっと前、13歳の時から俺はミュージシャンだった。生まれもった才能があったのか、学校の音楽の先生が俺に飛びついた。その時から17歳まで、俺は彼の息子の様だったよ。先生は軍人で、よく軍の駐屯地に俺を連れて行き、軍楽隊の人達に引き合わせた。そこで彼らと一緒に演奏をしたり、理論的な事をやったりして。で、学校を終えると、あっ、因みにその学校というのは矯正学校だ。悪い子が送られる学校。俺はちょっと悪い子だったんだ。でも、あの時代のジャマイカのミュージシャンの99%がその類の学校を通過していたからね。皆が出ているアルファ・ボーイズ・スクールなんかは本当に悪い連中が入れられる学校だ。俺の学校も相当に悪かったけどね。
 
ま、音楽はそういう学校でやる矯正カリキュラムの一環だったという訳だ。ジャマイカの有名ミュージシャンは殆どが元矯正学校の生徒。だから、もの凄くいい、ちょっと他とは違うヴァイブがこの音楽にはあるんだよ。俺は地方の出身で、キングストンの学校に出てきた。周りの生徒は学校をサボったり、喧嘩やら何やらで警察沙汰になったりしていたけど、俺はおとなしく真面目に学業に励んだ。学校を卒業する時、例の音楽の先生は俺を軍隊に入れたがったんだが、ちょっと若すぎた。もう少し入隊を待たなければならなくてね。待っている内に警察が来て俺を横取りしちゃったんだ。先生は怒ったよ。という訳で俺は警察に1週間だけ在籍して、辞めて、軍に入隊した。数ヵ月後、総督から奨学金を貰える事になった。
 
あの頃の総督はサー・キャンベルだったかな。当時、イギリスに軍の音楽学校があった。名のある学校だ。士官学校と音楽学校が合わさってるんだ。で、そこを卒業。ま、首席級というやつで。ジャマイカに戻ってきて、軍でまた音楽をやった。同じ頃、俺はジャマイカ・ロイヤル交響楽団のリーダーもやっていた。まあ、楽団といっても、ボール・ルームなんかでも演奏する小さな楽団だよ。俺は楽譜が読めたし、楽器は全部やれるし、団員のために楽譜を読んだり書いたりできたしね。アレンジも作曲もやった。そこでの楽器パートはトランペットだったよ。
 初めてのレコーディング・セッションはFab 5の仕事。今ミキシング・ラブがある通りのどん詰まりにスタジオがあって、そこでのほんのちょっとした仕事だ。時期的にはFab 5がカウント・オジー&ミスティック・レヴェレーションの『Grounation』(73年)をやってた頃だ。それから、特にどうこういう程の事でもないけど、俺がまだ軍に在籍していた頃の、よく覚えている仕事がひとつある。ジェフリー・チャン、彼は俺のいい友達で、そのチャンが電話をしてきて、セッションでホーンをやってくれというんだ。
 
ローナ・ベネットの曲で場所はRJRスタジオだった。ローナは「Breakfast Ina Bed」がヒットして(71年)、アルバム(『This Is Lorna』:74年)を制作中だった。数曲、俺がホーンを入れる事になった。忘れもしないよ。軍から隠れる様に出て行って、数時間スタジオで仕事をする。彼らがリハしておいたトラックに同時に俺がホーンを重ねて行くんだが、時間がもの凄くかかる。その内、俺に生来の才能があったせいで、彼らがトラックを仕上げる手助けをする事になってしまった。手を加えている内に彼らが俺の才能に気づく。で、「明日も来いよ」が毎日になって、もう軍には居られなくなった。5分スタジオで仕事するだけで軍より遥かに多い金が稼げる。ワン・セッションが軍の給料の2週間分だよ。というのが、俺がレゲエに関わり始めるまでの前説。ここからようやくレゲエ街道に入るわけだ。
 
*   *   *
 
ジョー・ギブスと俺との関係はもっと後の話だ。勿論、彼とやっていた頃はデニス・ブラウンの曲をたくさん手がけたし、バーリントン・リーヴィとかトリニティとかジョー・ギブスがプロデュースした多くのアーティストの作品に関わっている。でも、それ以前からデニス・ブラウンとは仕事をしていた。
 
全てはルードボーイの運命だったと俺は思うね。悪い子だった俺がルードボーイ・スクール(矯正学校)で良い子になって軍に入隊。ところがセッションをやって音楽業界の人間と連るむ様になったら、そこのヴァイブスが俺にはやっぱり合うんだ。俺はタバコも酒もやらないが、とにかく、もう軍にはいられないと思った。出会っちゃったからね。ジェフリー・チャン、マイキー・チャン、ロビー・リン、マイキー・ブー、ワヤ、スティッキーもだったかな、それにバル・ダグラス。彼らはジャマイカのトップ・バンドだった。俺が彼らの様なバンドと最初のセッションをできたのは凄く幸運だったよ。オフィシャルな、商業ベースにのったセッションという意味では最初がそれだから。
 
彼らのレコーディングは例えば二週間スタジオに缶詰になって終わらせるという形で、そっちの仕事があると軍には全くいられない。軍の事なんかやってられないんだよ。俺は上には黙ってスタジオに出かけていった。それで軍との関係がまずくなった。軍の方は俺に大きな大きな期待をかけていたらしい。俺には才能があったからね。そこが難しいところだよ。軍にとって俺は長い事待ち望んだ才能だった。でも、俺はレゲエが俺本来の道だと思った。音楽の先生は俺と話もしなくなった。彼は俺にクラシックの道に進んで欲しかったんだ。俺は実はFab 5とセッションするまで、レゲエをちゃんと聴いた事がなかった。聴いていたのはクラシックだけ。ベートーベンとかバッハのことなら何でも知ってる。それが俺の人生だった。彼らは俺にああいう風になってほしかったらしいよ。
 
いくつかセッションをした後、チョーズン・フューのバニー・ブラウン、彼は俺の友達の友達だったんだが、そのバニーが連絡してきて、俺をバンドに加えたいって。L.G.エンジェルズってバンド。メンバーはバニー・ブラウン、サード・ワールドのリッチー・ブー。彼は、今はギタリストだけど当時はベーシストだった。そうだよな? 彼は今ベーシスト? ギタリストだろ? ま、ともかく今とは逆の楽器をやっていた(註:リッチー・ブーはベーシスト)。そのバンドにはロビー・リンとか前に一緒にやった事のある連中がいて、俺の持っているものが一気に開花してしまった。
 
同じ時期にデリック・ハリオットとも出会った。彼は当時のトップ・プロデューサーの一人。ロイド・チャーマーズなんかと並んで、いい感じに盛り上がっていた。デリック・ハリオットの家に行くと、デニス・ブラウンもホレス・アンディもチョーズン・フューも「Police And Thieves」のジュニア・マーヴィンも毎日いた。そこで皆で寝泊りしてスタジオに行ったり、クラブに出かけたりしてデリックの家に帰るという生活。それが日常。デニス・ブラウンとはその頃からの付き合いなんだよ。ジョー・ギブス以前からっていうのはそういう事。デニスは俺より少し年下だが、若い奴ばかりの仲間うちの事だからね、俺達は友達だった。
 
俺自身の話に戻ると、最終的にバンドを抜けて、え〜と、最後のバンドはジェネレーション・バンドか?(註:リーダーはジェフリー・チャン) ともかくだ、俺はそのバンドでトランペッターである以上の仕事をしていると思った。楽器は何でもやるし、アレンジはするし、バンドのサウンド・プロダクションを頼まれてやっていたしで、割に合わない。
 
当時、ジェフリー・チャンがサウンドトラックという名前の会社と仕事をしていた。ここはアビシニアンズのファースト・アルバム『Forward To Zion - Satta Massagana』(76年)の制作資金を出した会社で、ボブ・アンディもプロデューサーとして契約していたよ。他にジョニー・アレギザンダーもいた。彼の事は知ってる? コーポレーション・オブ・ラブっていうグループのメンバーだ。
 
ジェフリー・チャンと俺は音楽でつながった友達で、常に連るんでたから、そこでも連るんだ。ジェフリー・チャンと俺は当時の音楽業界で“トラブル・シューター”みたいなもんだった。何か問題が起こると俺達に連絡が来るんだよ。レゲエっていう音楽やレゲエ・ミュージシャンのやっている事はとてもシンプルな、実はごく基本的な事ばっかりだ。初歩の初歩っていうか。どうしたらいいかわからない様な事態になると、誰か、もっと音楽の知識を持っている人が必要になる。で、俺達の出番だ。ジェフリーがメインで毎日セッションを見守っていて、何か問題が生じると俺が解決をするという具合。俺には毎日そういう仕事のオファーがあった。本当に毎日。
 
俺がこの会社の仕事を手がける様になった頃に、アビシニアンズのファースト・アルバムの話があった。ジェフは俺にプロデューサーをやってくれって。俺は既にマックス・ロメオの『Open An Iron Gate』(75年)とかあの辺りのアルバムをプロデュースしていたんだ。つまり外国のレコード会社のための仕事をしていた訳だ。その会社があった通りの反対側にトミー・コーワンのタレント・プロダクションがあって、ジェイコブ・ミラーやインナー・サークルがよくいたね。
 
あ、シンディ・ブレイクスピアもいたな。デミアン(ジュニア・ゴング)の母親だよ。彼女がそのすぐ先でジャマイカでは初のジュース・バーを開いていて、皆が来ていた。毎日、通りのあっちこっちから集まってくる。俺、ベラベラ話してるな。こういう話をそっちが聞きたいかどうかはわからないけど。ついて来てる? 今、話しているのは70年前後位までの話だよ。なかなかジョー・ギブスのところに辿り着かないな。彼が話に登場するまで一日かかるかもしれないぞ。冗談だけど。
 
[次号へ続く]
 
 
■CD
「Ruffn' Tuff 〜 Founders of The Immortal Riddim」
O.S.T.
[Overheat / OVE-0100]
¥2,625(tax in)カリプソ、スカ、レゲエなど全16曲のベスト・セレクション。
 
 
■BOOK
「Ruffn' Tuff:ジャマイカン・ミュージックの創造者たち」
監修:石井“EC”志津男
A5判/192ページ
リットーミュージック¥1,890(tax in)

出演者の中から13名のインタヴュー+石井、石田、落合のエッセイ集。

top
top
magazine

magazine

magazine

magazine

magazine

magazine

columns

GO BACK

ISLAND EXPRESS
UK REPORT
WHAT THE DEAL IS
PLAY IT LOUD
RECORDS & TAPES
RAW SINGLES
CHART
RING RINg RING
BOOM BAP
Day In Da West

columns
columns

columns
columns
columns
columns
page up!
Riddim Nation

"Riddim"がディレクションする
レゲエ番組「Riddim Nation
第19配信中!

Go RiddimNation!

nation