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Unmissable Story extra pieces from Ruffn' Tuff vol.4
Clive Hunt

  
Interview by Tadahiro Konoe / Translated by Mizuho Takahashi / Photo by Masataka Ishida
  

映画『Ruffn' Tuff』が話題だが、この映画のために取材した数十時間のテープは、インタビュー集として書籍化されている。しかし、その書籍からもページ数の制限でもれてしまった人たちや発言を採録して本誌で連載する。今回も前号に引き続き国際派の音楽家、クライヴ・ハントの登場。アビシニアンズについて大いに語って貰った。
  
で、アビシニアンズだ。アビニシアンズとの仕事は凄く重要だ。なぜアビシニアンズの仕事をしたかとよく質問されるが、俺は子供の頃から彼らの名前は耳にしていた。カール・ドーキンスの評判はよく聞いていたしね。メンバーは俺よりずっと年上で、凄い大人に思えたものだよ。その会社(サウンドトラック社)でアビシニアンズのアルバムについてミーティングをしたとき、彼らをプロデュースしたいというやつが誰もいなかったんだ、俺を除いてね。俺は彼ら自身についてはよく知らなかったけど、彼らの音楽は知っていた。あのヴァイブスが大好きだった。ジャマイカ人、いや世界中のレゲエ・クレイジーがアビシニアンズを好きだろ? 「Satta Massagana」も「Declaration Of Rights」も。
 彼らと最初にやったのは「Him Masagana」という曲。次が「Ten Years Struggle」。この2曲はシングル用だった。スタジオに俺なんかより大物のプロデューサーやミュージシャンが出入りする度にアビシニアンズや会社の連中はあいつらがこう言ってるの、俺がこう言っただのとグチャグチャと電話してくるんだ。でも、俺はアビシニアンズにちゃんと会ってアルバムをプロデュースしたいと話した。で、最終的に俺がやることになったわけだ。
 
 ところがレコーディングの途中で会社が倒産したんだ。あの会社は政治的な、PNPが作った会社だ。公にはなっていなかったが、俺は知っていた。誰も言いたがらないけどね。ジングル(註:HWTにあったスケートランドを経営していた人物。PNPの党員。故人)とかあの辺りのPNPの関係している悪そうなやつらがゴッソリやってきては、あちこちから金を集めてたからな。音楽ビジネスはその隠れ蓑さ。俺には小さい子供と奥さんがいたから会社から給料がもらえて助かってたけどね。セッション・ミュージシャンをしなくて済んだし。既に俺は“クライブ・ハント”だったから。皆が俺を知っている。ともかく、どういう仕事でも完全な俺の売り手市場だったんだ。
 
 俺はね、アビシニアンズのプロデュースでは一円も金をもらっていない。ま、これはややこしい話になっちゃうけど。それなのに、俺がマスターを持って逃げたとか、海賊盤を作ったとか何とか言われてる。最悪最低だね。話は戻るけど、会社が金を用意した時、アビシニアンズはテーブルに乗っている以上の金額をほしがった。そこには純粋な制作費とアドヴァンスの金があったんだ。アドヴァンスっていうのは普通、アーティストとプロデューサーの両方に支払われるだろ? アビシニアンズはそこにあるアドヴァンス、俺の分も入ってるんだけど、それを全部、欲しいと言ってきた。俺はそれでも構わなかったよ。彼らと一緒に仕事ができるだけでうれしかったし。外に出ればどこかのスタジオですぐに仕事があったから。初めてこの業界に入ったその日からずっとそうだったしね。
 
 で、アビシニアンズのレコーディングはRJR、デューク・リード、ジョー・ギブスと複数のスタジオでやった。デューク・リードとは親しかったし、仕事もした。エロール・ブラウン(註:ボブ・マーリーのエンジニアなどで知られる)、彼はデュークの甥で彼の信頼が厚く、当時はデュークのスタジオのチーフ・エンジニアをやってセッションを仕切っていた。ちょっとデュークとの話にそれるけど、ラジオでデュークが制作した曲を聞いて、楽器のキーやシンガーの調子が外れてたりすると、俺は気になる性質だから彼に電話するんだ。「デューク、どういうレコードを出してるんだ!」って。「クライブ、何が悪い?」と聞いてきたら、「ギターが変だ、もうオンエアするな」とか言って。デュークはラジオ局に連絡してその曲をオンエアするのを止め、俺はスタジオへ行き、録り直しを手伝う。そんなことよくやってた。俺が若い頃の話だけどね。
 
 で、アビシニアンズだ。アビシニアンズのアルバムを制作中にサウンドトラック社の中で何かゴチャゴチャが起きて、そこにいた奴らが全部どこかに消えてしまった。おおごとさ。ジャマイカの外に逃げたんだな、多分。俺はマスターテープを抱えて、制作費もなく、ジョー・ギブスのスタジオで途方に暮れた。そこでジョー・ギブスに交渉した。お前さんのためにこのアルバムを俺が作るから、スタジオをタダで貸してくれって。それがジョー・ギブスとの関係の始まりさ。以後、デニス・ブラウンを初め、多くのアーティストとの仕事をギブスとやるわけだが、これについて全部話すと、さらに一日半は必要になるから止めておこう。
 
 ま、ともかく、俺はそうやってジョー・ギブスの好意でアビシニアンズのアルバムを完成させた。俺の記憶が正しければ、この話を公にするのは初めてだ。それでだ。アメリカに一人、サウンドトラック社と仕事をしていた男がいた。トーランとかいう名前だったな。その会社の関係者の親戚かなにかで。俺は彼に電話をして、「社のお偉いさんたちが消えちゃってるんだけど、このアルバム、どうしたらいい?」と聞いた。「ミックスまで仕上げた状態で送れ」と言うから、ミックスが上がった金曜に再び連絡した。そうしたら今度はテスト・プレスを送れと言う。スタンパーも作ってあったからテスト・プレスは作れる状態だった。ところがだ。俺には持ち金がなかった。ジョー・ギブスのスタジオ代もアルバムを完成するためにバーターにしてもらったぐらいだから、金がなかった。その時、ガシー(・クラーク)のことを思い出した。彼は俺の友達ではなかったが、彼が音楽業界にいたことは知っていたよ。彼は制服をまだ着ているような年齢でヒット・レコードを出した人だからね。尊敬してたし。憧れの的みたいな感じで。ガシーは音楽ビジネスの体制を作っている最中だった。彼はジャマイカのレコードを輸出し始めた初期の若きビジネスマンの一人だ。新しいレコードが出るとニューヨークにでもロンドンにでも500枚、1,000枚とプレスして出荷をしていた。しかも素早く。だからボロ儲けしたんだけどね。
 
 いいかい、これは大事な話だ。皆、俺がアビシニアンズのマスターを持ち逃げして儲けたとか言うけど、俺はビタ一文もらってない。今もってだ。レゲエが欧米で売れ始め、ボブ・マーリーに火がつき始めた頃、というのが俺のプロデューサー歴が始まった頃なんだが、『News Week』が「レゲエ・ベスト・アルバム10」という特集を組んだ。その中にアビシニアンズのアルバムが入った。デニス・ブラウンのアルバムも入っていた。どのアルバムだったかな。デニスがこんな格好して、メチャ派手な服を着てる、「Milk and Honey」が入ってるやつだ。「Milk and Honey」は俺が初めて本格的にプロデュースした曲でもあるんだ。ああ、話があちこちに飛んでしまって申し訳ない。ともかくアビシニアンズの話に戻ろう。アビシニアンズはレゲエの歴史の中で非常に重要なアーティストだ。ボブ・マーリーのような立ち位置ではないが、アビシニアンズそれ自体が一つのジャンルになっている。
 
 そのアビシニアンズのアルバム完成後、ガシーはテスト盤をプレスしてやってもいいと言ってきて、俺からマスターを受け取ってチャンネル・ワンへ行った。ジョジョ(・フーキム)がチャンネル・ワンを持っていることは以前から知っていたが、そこにプレス工場ができていることを俺は全く知らなかった。昔のグレゴリー・アイザックスのオフィスの近くだ。誰でも行って10分かそこらでテストプレスが作ってもらえるようなところ、そんな風に思ってた。ところがガシーが俺にスタンパーを返してよこしたのは二週間もたってからだよ。で、ジョジョとガシーは500ドルでアビシニアンズのアルバムをリリースさせろと言ってきた。たったの500ドルだ。ただ同然でガシーに持って行かれたわけだ。で、もう次の瞬間には彼らは俺が邪魔になったんだろうな。俺は連中に殺されそうになった。アルバムが世界中に出回ったのは、全てジョジョとガシーの仕掛けだ。もう時効だから全部言っちゃったけど、いいよな? あのアルバムは世界で一番海賊盤が出たレコードだ。そうさ。誰もが海賊盤を出した。俺があのアルバムで得た報酬はガシーがよこした500ドルだけ。全てガシーとジョジョが滅茶苦茶にしちゃったんだよ。
 
 知ってるかい? いいミュージシャンほどガンマンに狙われる。俺の場合はジェイコブ・ミラーが「ガンマンがお前を探しているぞ」と教えてくれた。それでジャマイカを発ってニューヨークへ向かった。で、ブルワッキーと出会うわけだ。俺には再び結婚をしようとしている女の子がいたけど、ニューヨークに知り合いなんて誰もいない。たった70ドル、米ドルの70ドルとその女の子だけを連れてニューヨークへ飛んだ。というのがこのアルバムについての顛末さ。このアルバムが俺とジョー・ギブスとの関係や、その後のたくさんの仕事のきっかけになった。そういう意味でも大切なアルバムではあるよ。今までの話は長い長いストーリーのほんの一部。テープがもっと必要だぞ。質問があれば、どうぞ。今の話はどうせ編集でカットしちまうんだろ?
 
[次号へ続く]
 
 
■CD
「Ruffn' Tuff 〜 Founders of The Immortal Riddim」
O.S.T.

[Overheat / OVE-0100]
¥2,625(tax in)カリプソ、スカ、レゲエなど全16曲のベスト・セレクション。
 
 
■BOOK
「Ruffn' Tuff:ジャマイカン・ミュージックの創造者たち」
監修:石井“EC”志津男
A5判/192ページ

リットーミュージック¥1,890(tax in)

出演者の中から13名のインタヴュー+石井、石田、落合のエッセイ集。

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