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DENNIS BOVELL
 
Interview by Haruyasu Big 'H' Kudoh / Photo by Hiroto "Photowarrior" Sakaguchi
 

 '70年代終りのイギリス、いわゆるポスト・パンク、ニュー・ウェイヴ、そしてレゲエ/ダブが刺激し合いながら共存していた、その真只中にいた男がデニス・ボヴェルだ。若いダンスホール・ファンには別世界の事だろうが、この男の発言には耳を傾ける価値がある。
 
●ポップ・グループ(註1)とは、どのようにして出会ったんですか?
Dennis Bovell(以下D):リード・ギターのギャレス・セイガー、彼は後にリップ・リグ&パニックとか、フロー・アップ・CPとか、ネネ・チェリーをヴォーカルにしたグループを作ることになるんだが、彼が一緒にやりたがっていると、ポップ・グループのマネージャーがオレを訪ねてきたんだ。オレのことをどうやって知ったのかはわからないけど、彼はかなりのレゲエ・ファンだったからな。自分たちの演奏を気に入ってくれたらぜひアルバムをプロデュースしてもらいたいというので見に行って、オレは感心したね。
 
中でもドラムスのブルース・スミス(後にダブ・バンドのメンバーとなり、LKJの初来日に同行)とベースのサイモン・アンダーウッド(後にピッグ・バッグを結成)が気に入った。彼らがオレに頼んだのは、要するにドラムとベースをレゲエみたいにヘヴィにしてくれ、ということだったんだ。それで、早速レコーディングに取り掛かった。スタジオはリッジ・ファームといって、イエスのリード・ヴォーカルのジョン・アンダーソンのパーソナル・エンジニアをやっていたマイクという男が作ったんだが、機材置き場を改造したような所だった。ちょうどジョンがイエスのツアー中だったから留守でな。オレたちは機材をチェックしてやろうと決めたんだよ! レコーディングは、ホントに楽しかったな。
 
●その直後、スリッツ(註2)のアルバム『カット』のプロデュースですね。
D:アイランド・レーベルの社長のクリス・ブラックウェルが、スリッツのデビュー・アルバムを作るにあたって、ポップ・グループやLKJのアルバムと同じようなサウンドを求めていた。そこで同じスタジオ=リッジ・ファームを使うことにしたんだが、あの頃のオレはあそこに住んでいるような状態だったなあ。何しろ一年間でこの2枚に加えてマリー・ピエールの『ラヴ・アフェア』、そしてマトゥンビの『ポイント・オブ・ヴュー』、計4枚もレコーディングしたんだから。
 
●他のパンク/ニュー・ウェイヴも、レゲエをどんどん吸収していきます。
D:彼らはレゲエのサウンドに恋をしたんだと思う。レゲエとロック、興味深い結婚と言えるだろう。それ以前のロック・サウンドというのは、ただデカイだけでヘヴィではなかった。パンクやロックに低音を注入したとも言えるな。
 
●ダブも大事な要素ですね。
D:もちろん! でもこれはよく人に言うことなんだが、オレにとっての最初のダブは、ジミ・ヘンドリクスなんだ。ファースト・アルバムに入っている「サード・ストーン・フロム・ザ・サン」。'67年の曲だが、今聴くとあのギターのエコーとリバーブ...オレにとってはまさしくダブだね。
 
●ポップ・グループやスリッツ以前に、ロックとの接点はあったのですか?
D:ロックに限らず、いろいろやったけど、17歳の頃からロック好きな連中とは離れて、ジャマイカ人たちの中に身を置くようになったんだ。ロック・ステディからレゲエの時代だ。その当時のロックの連中からすると、ジャマイカン・ミュージックを演奏するということは、何かとても神秘的なことだったらしいけど、オレにとってはごく自然なこと。でも他のバンドの多くが、ポップなロック・ステディやアメリカのソウルに強く影響されたレゲエを演奏していたけれど、オレたちはそうじゃなかった。オレはミュージシャンとしてやっていきたかったし、音楽で食べて行こうと思い始めていたから、自分のホーム=カリビアン・ミュージックをやって行こうと決心した。
 
ところが人からよく言われたのは、ロンドンにいてはレゲエはできない、ジャマイカに行かなきゃちゃんとした音は録れない、なんてことだった。そこでオレは逆に、ロンドンにいる連中とオレ自身のスタイルを作ればいいと考えた。ジャマイカとは違うスタイル。それがラヴァーズ・ロックになったんだ。言ってみれば、イギリスで生まれたジャマイカン・ミュージックの子供。オレの周りにはよくいるんだけど、同じ家族の子供でもカリブ生まれとイギリス生まれでは自ずと違いがあるだろう。ブラック・ブリティッシュとしての経験を象徴するもの、これがオレたちの好みだっていう音楽だ。
 
まず試みたのは、女性シンガーを中心に据えたこと。なぜならばジャマイカン・レゲエは男、男、男のマッチョな世界だろ。女性シンガーはホントに少ないし、ステージに立ったにしてもコーラスがほとんどだ。だからオレたちはこれに代えて、女性をフロントにして歌わせたんだ。そして、彼女たちにマッチした、オレたち好みのレゲエを作る。もしかしたらラヴァーズ・ロックとは、アメリカのモータウン・サウンドに対するブリティッシュ・レゲエからの答え、と言えるかもしれない。女性ヴォーカルによるレゲエ・ビートに乗せたラヴ・ソング、という意味でね。
 
 
 この記事をアリ・アップ(1964〜2010)に捧げます。
 
 

  
 
 
 ※註1:The Pop Group。1978年にMark Stewartらによってイギリスで結成されたポスト・パンク・バンド。デニスがプロデュースした『Y』や『For How Much Longer Do We Tolerate Mass Murder?』といったパンクとフリージャズとレゲエを融合した作品を発表し、世界中のシーンに多大なる影響を与えた。81年に分裂するもその後メンバーが結成した様々なグループも次々と重要作品を発表し、ブリストル・シーンの礎を築いた。

※註2:The Slits。1977年にThe Clashの前座としてライヴ・デビュー。79年に発表したファースト・アルバム『Cut』をデニス・ボヴェルがプロデュースし、そのジャケットと共に話題に。81年にはCBSより『Return Of The Giant Slits』をリリースするも直後に解散。2006年に再結成を果たし、09年にアルバム『Trapped Animal』をリリースし話題となった。2010年10月20日、ヴォーカルのAri Up没。


 

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